9.パーティーのお誘い

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9.パーティーのお誘い

「あれ、アナベルがいないね」 「何かあったのかしら」  宿舎の入り口でサリオンと困惑しながらささやき合う。いつも迎えてくれるアナベルが、指定の時間になっても姿を現さなかった。 「クライド様のお部屋かしら?」 「行ってみよう」  宿舎ではすっかり顔馴染みになった私たち。  私の事務手伝いに関して「助かっている」とクライドが宿舎内で話してくれているらしい。おかげですれ違う騎士たちは好意的な笑みで会釈をしてくれる。  案の定、アナベルは部屋の前に立っていた。ひとまず胸をなで下ろす。すると彼女は振り返り、私たちの姿を捉えると慌てたように近寄ってきた。 「ごめんなさい、迎えに行かず……!」 「何かあったの?」 「えっと……」  ちらりと扉の方に目線を向ける。  会話までは聞こえなかったが、クライドの大きな声が聞こえてきた。温和な彼がそんな声を出すことが信じられず、私は目を見開いた。アナベルは廊下の先を指差して言った。 「とりあえず、食堂へ行きましょう」  昼時ではないため、だだっ広い殺風景な食堂には数人しかいなかった。  窓際の端の席に座り、私たち3人は向かい合う。アナベルは重い口を開いた。 「その……オジさまにパーティの招待が来ていて」 「パーティ?」 「はい。第一騎士団の人がたまに誘ってくるんです」 「オジさまも中々断れないみたいで」と悔しそうに呟く。  第一騎士団となれば上位貴族の可能性が高い。第二騎士団の団長とはいえ、カースト的に下であれば断りづらいのだろう。 「クライド様はパーティが苦手なのかしら?」 「それもありますし、1人で参加するので、女性からのアプローチがすごいみたいです」 「そうなの……」  若く華やかな令嬢たちがクライドを囲み、楽しそうに笑っているところを想像すると、心臓が強く痛み、ドクドクと鳴った。息が浅くなり、思わず胸あたりを抑える。なぜ自分がこんなに困惑しているのかが分からなかった。  すると突然、アナベルは「あ!」と叫んだ。 「エレオノーラ様! もしよろしければ、オジさまと参加していただけませんか?」 「え?!」  急な提案に大きな声をあげてしまう。  食堂にいた数人の目線を感じ、いたたまれなくなる。慌てて声を潜めて話す。 「その……私では力不足だと思うわ」 「そんなことありません! エレオノーラ様なら絶対に大丈夫です!」 「買い被りすぎよ」  苦笑しながら、まつ毛を伏せる。  ゴーシュに嫁いでから社交界は数回しか参加していない。ドレスや会話の流行なども分からない。そんな私がクライドと共に行ったところで、役に立てるとは思わなかった。  さらに17年前のこととはいえ、学園時代の自分を知っている人もいないとは言い切れない。クライドの顔に泥を塗る可能性があるなら参加は見送りたかった。 「どうしても、ダメでしょうか?」  赤みがかった茶色の瞳が、上目遣いで私を見つめた。  そんな野うさぎのような顔をしないでほしい。たじろぐ私に、アナベルは言葉を続けた。 「相手がいない人ならまだしも、『愛人にどう?』と声をかけてくる人もいるみたいで……」 「まぁ……」  ゴーシュに嫁いですぐ『お前は愛人でもよかったな』と吐き捨てられたことがあった。まるで使い捨てのナプキンのように扱われたあの言葉の痛みは、まだ完全には消えていない。  同じような痛みをクライドも受けていると思うと、無下には断れなかった。 「その、提案をするだけなら」  おずおずと言えば、アナベルの瞳が輝いた。念押しするように「て、提案だけよ? クライド様に断られるかもしれないし」と言ったが、「ありがとうございます!」と両手を握られていたく感謝されてしまった。  その後しばらく他愛のない話をして時間をつぶし、クライドの部屋へと向かった。  アナベルとサリオンはいつものように2人で課題をするそうだ。  ひとりぼっちになった私は扉の前で、「社交パーティの件ですが、」「よければ私が一緒に、」「アナベルさんの話を聞いて、」とぶつぶつ扉に向かって喋る。  そして1つ深呼吸。ドアを控えめにノックをすれば、「はい」と返事が来た。真鍮のドアノブを握る。心臓が痛くなるほど緊張していた。  扉を開けば、いつもより疲れた顔をしたクライドがいた。私の姿を捉え、やわらかな笑みを浮かべる。 「エレオノーラ様」 「あ、あの」  クライドを前にして、先ほどまで猛練習していたセリフが全て飛んでしまった。  頭が真っ白になる。「あの、」「その、」としか言葉が出てこない。どうして私はこんなにまで緊張しているのだろう。理由が分からなかった。  見るからに焦っている私を見て、クライドは立ち上がり傍までやってきた。  真正面ではなく横に立ち、私を見おろした。小首を傾げて、「待ちますから」と穏やかに言う。  ほっと胸の中に温かいものが広がった。体の中に、酸素が入ってくる。私は感謝の意味を込めて微笑みを返した。 (この方の、お役に立ちたい) 「社交パーティの、エスコートをさせてください」  気づけば、そう言っていた。  言葉にして気づく。自分がエスコートする側になっている。間違いを正そうと慌てて口を開くより先に、「ぷっ」とクライドは吹き出した。そして、くつくつと指に手を当てて笑う。  いたたまれなくて、目線を逸らしていると、ふと「ありがとうございます」と感謝される。何故?と問うように見上げれば、目を細めて言った。 「エレオノーラ様と一緒なら心強い」 「……お誘いしたのに申し訳ないのですが、パーティの経験はほとんどなく……」  正直に詫びれば、クライドはふるふると首を横に振った。 「傍にいてくれるだけで、いいんです」  彼の言葉に目を見開き、体を貫いたのは、歓喜だった。  顔が思わず熱くなる。照れていることを隠したいのに、深い海のような紺色の瞳から目が逸らせない。  再び真っ白になる頭の中で、「よ、よろしくお願いします」と言うので精一杯だった。  *  屋敷に帰って、クローゼットを開けた。思わずため息をつきそうになる。  並んでいたのは地味な色のシンプルなワンピースばかりだ。ドレスは数着ほどしかない。しかも何年も前に買ったものだ。キャビネットの引き出しを開けると、こちらも同様で数点のアクセサリーしかなかった。  引き出しを閉めて、ネルゲイの部屋へと向かう。ドアをノックして入室すれば、ネルゲイとメイド長が屋敷の管理業務について話しているところだった。 「どうされました?」 「ドレスのカタログを取り寄せてくれないかしら」  二人の目が大きく見開いた。見開きすぎて目玉が飛び出ないか不安になるほどだった。  そんなに驚くこと?と問えば、当たり前です!と叱るように叫んだ。 「え、エレオノーラ様がドレスを……?! 何年ぶりですか?!」 「そ、そんな前だったかしら?」 「私の記憶だと3年ぶりですね。近隣領主からのパーティに招待を受けたときに購入しました」  メイド長が左上に視線をやり、思い出しながら淡々と言う。  彼女は私がこの屋敷に嫁いだときから仕えているベテランだった。私が嫁いだときにメイドが次々にやめていったので、ネルゲイと同様、彼女には多大な苦労をかけてしまった。彼女も先代への恩があるらしく、メイドたちの手本になるよう今日までずっとヴィリアント家に勤めてくれていた。  想像以上に前のめりな反応に尻込みし、両手を振りながら付け加えた。 「お金に余裕がなければ大丈夫よ。3年前に買ったものもあるし」 「いーえ、駄目です! 新しいものを買いましょう!!」  立ち上がり力強く言うネルゲイ。隣でメイド長も頷いたあと、ハンカチを取りだし、泣き出した。ぎょっとして「ど、どうしたの」と問えば、涙声で答えられる。 「え、エレオノーラ様がご自身の意志でドレスが欲しいと言うなんて……」  その言葉にあいまいな微笑みを浮かべる。  学園での罪を認め、改心しようと決めた日から、私は自分の意志でドレスを買うのをやめた。  そう決めたのは、ゴーシュと真逆の存在であろうと自分に誓ったからだ。  彼が怒鳴り声をあげれば、私は怒りを抑えて口をつぐむことを練習した。  彼が領地の民を軽んじるなら、私は彼らの未来のために尽力しようと努力した。  彼が豪華な宝石を買い漁るなら、私はすべて手放してしまおうと決心した。  異国の珍しい大きな宝石も、レースがふんだんに使われたドレスも、罪を犯した私には似合わない。すべて売って、屋敷に仕える者や民たちに還元してきた。  ひとつひとつ手放すたびに、心が軽くなった気がした。「こんなに重かったのね」と元婚約者からもらったアメジストをそっと撫でた日のことを、今でも覚えている。  何年も使えるようにと、手元には定番の形のものを数点だけ残した。「みすぼらしいな」とゴーシュには嘲りを受けたが、構わなかった。年に数回しか社交界に参加しない私には、派手な装飾品は不要だった。 「それにしても、なぜ急にドレスを?」  ネルゲイに問われ、我に返る。  なりゆきで第二騎士団長とパーティへ行くことになったからと伝えれば、「そうではありません」と彼は首を振った。 「今までのエレオノーラ様だったら、以前買ったドレスで行ったでしょう。新しく購入したいと言ったのはなぜですか?」  指摘され「確かに」と思案する。「サイズが合わなくなった」「ネルゲイやメイド長に強く勧められた」などの理由がなければ、この17年、新しいドレスを買うことはなかった。なぜ私はクローゼットにあるドレスの少なさにため息をつき、彼らにドレスのカタログを取り寄せてとお願いしてるのだろう。こんなことはじめてで、理由を探した。  きっとクライドのタキシード姿は素敵なものになるだろう。  背も高く、姿勢もよく、仕草も洗練されている。絶対に似合うはずだ。もしかしたら「こういう格好は動きづらくて苦手なんです」と弱ったように笑うかもしれない。そんな彼にエスコートされ、あの穏やかなネイビーの瞳の微笑みを受ける。想像するだけで、心が躍った。 「クライド様に恥じない格好でいきたいの」  気づけば理由を口にしていた。  するとネルゲイとメイド長が目を見合わせ、大きく頷いた。  そして「お任せください」「とびきりのドレスを選びましょう」と口々に言った。なんだか目の中に燃えさかる炎を見た気がする。私は首を傾げたが、とりあえず深追いはせず、二人に感謝を伝え、自分の部屋へと戻った。
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