10.ジュリエッタの過去

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  「……なぜ、そう思ったのかうかがっても?」 「話す口調が、その、淡々としていたので」  ジュリエッタのことを話すクライドは、まるで裁判官のようだった。  罪人の罪を読み上げているような、他人事で乾いた口調。結婚を考えたくないと思うほど後悔しているエピソードを話す口ぶりには、到底思えなかった。  同時に自分の違和感をぶつけてしまったことに、後悔がよぎる。  クライドが結婚したくない理由が他にあろうとなかろうと、自分には関係ない事柄のはずだ。余計なことを言って波風をたてれば、仕事がしづらくなる可能性だってある。分かっていたはずなのに、なぜ私は聞いてしまったのだろう。 「エレオノーラ様には、隠し事ができませんね」  クライドは苦笑して立ち上がった。怒った様子はなくて、ひとまずほっと胸をなで下ろす。  棚へ向かう彼の足取りを見て、胸が騒いだ。10歳ほど離れた彼が迷子になった子どものように見えたのだ。私は立ち上がり、隣に立つ。なぜだか今の彼を1人ぼっちにさせたくなかった。  彼はぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。 「タランティア王国は数十年、戦争がありません。平和の国と謳っていますが、小さな軋轢は日々生まれています」 「はい」 「重税による民の反乱、貧困にあえぐ者たちの犯罪行為、そんなものを取り締まるのも第二騎士団の役目です」  棚に置いてあった水差しからコップに水を注ぐ。水差しを見つめる紺色の瞳がさびしげに揺れた。 「あるかわいがっていた部下がね、民の暴動に巻き込まれてね、死んだんです。不運な事故でした」 「……」 「彼の亡骸に縋り付く、奥さんと、何が起きたかよく分かっていない幼い子どもの姿を見て……怖くなったんです。大切な人を失くすのはこんなにも怖いことなのかと……」  二度と言葉を発することがない部下の亡骸と、悲壮に暮れる母親と子どもを見て、呆然と立ち尽くすクライドの姿を思い浮かべる。心臓が絞られるかのように、きりりと痛む。家族の痛哭に、彼はどれほどの痛みを、責任を、悲しみを背負ったのだろう。  水を飲み、口だけの笑みを浮かべながら言う。 「ジュリエッタの離縁は、正直ちょうどよかったんです。伴侶をつくらない理由としては」 「嫌な男でしょう?」とこちらを見て眉を下げて笑うクライドに、私は首を横に振った。 「『大切な人を失うのが怖い』だなんて、騎士団のトップにいる自分が言ってはいけないんです。絶対に」  再びコップを見つめながら、ぽつりと呟く。    私は何も言えなかった。彼はそれ以上語らなかった。いや語れなかったのかもしれない。 『長いこと生きていると、悔いばかりが残りますね』  ふと彼の言葉が浮かんだ。私が悪夢で悩んでいると吐露したあの日。  私は確信する。彼はきっと部下が死んだ日を夢に見ていたのだろう。耳の奥で真鍮の鈴がチリリと鳴る。おまじないに縋るくらい苦しみ、その思いをずっと吐き出せずにいたのだ。  少しの間のあと、彼は泣き笑いのような顔で言う。 「……初めて言いました」 「え?」 「自分が伴侶をつくりたくない、本当の理由を」 「……」 「聞いてくださり、ありがとうございます」  彼の腕にそっと触れ、見上げる。  馬車の中で言ったセリフを、私はもう一度繰り返す。 「どんなことがあっても、私はクライド様の味方ですよ」  *  窓の外で落ち葉が舞う。色彩豊かな葉が色づく秋が、終わりを告げようとしていた。  私はチェストの上のライトを光源に、本を読んでいた。読書をして1時間ほどだろうか、文字を辿っても理解がだんだん追いつかなくなり、ふわりと欠伸をした。そろそろ寝ようかしらと本を置き、いつもの習慣で鈴を手に取った。 「……え」  ベッドの上で、私は愕然とした。  いつもお守り代わりに置いている鈴が、ヒビ割れ壊れてしまっていた。無理な力を入れたり、乱雑な使い方をした覚えもない。  無残な姿になった鈴が、昔の自分と重なり胸が痛んだ。  手のひらで何度か転がし、息を吐き、チェストの上に鈴をのせた。掛け布団をかぶり、目を強くつむって指を組んで祈る。 (どうかどうか、悪い夢を、見ませんように)  どのくらい祈っていたのだろう。気づけば私は暗闇に立っていた。その瞬間、悪夢を確信してしまう。鈴をもらう前に見ていた悪夢と、導入が全く一緒だったからだ。  憂鬱となりながら、暗闇をとぼとぼと歩いて行く。夢という認識はあるのに、醒めることができない。まるで牢獄のようだ。  目の前に過去の記憶が浮かんだ。何を見せられるのかと恨めしい目線を向ける。  そこは屋敷の廊下だった。  頭を深く下げる使用人たちに、ゴーシュが暴言を吐き続けている。「貴様らを養っているのは誰だと思っている」「お前らの命など虫ケラ以下だろう」と、聞くに堪えない言葉たち。  場面が変わり、領地内にある街へと移る。  平民であろう子どもと父親が、額を地面にこすりつけ謝罪の言葉を繰り返している。「平民風情が」「自分の立場をわきまえろ」と、彼らに唾をまき散らしながらゴーシュは言い放つ。  見ていられなくて目線を逸らせば、ふわりと目の前に誰かが現れた。白いワンピースがひらりと舞った。長い黒髪と紫の瞳ーー自分だ。  鏡?と一瞬混乱したが、鬱々としている自分とは違い、彼女は楽しそうに笑っている。 『あの男のこと、酷いと思った?』 『でもあなたも一緒でしょう?』 『忘れちゃったの?』  ーーなんてグロテスクな鏡だろう。私の息が浅くなり、ひゅーひゅーと苦しそうに喉が鳴った。  鏡よ鏡、あなたの好きな悪夢はなあに?  彼女の言葉を呼び水にして、学園時代の記憶がよみがえる。  男爵令嬢のミランダ・グレイに謝罪をさせたこと。ゴーシュが平民の2人にしていたことを、自分も行っていた。大勢の生徒の前で囲み、見下しながら彼女に辱めを受けさせた。 『ねぇ、見て』と、夢の中の私は指さす。 「ただの密告だよ。証拠? そんなものは必要ない。アイツはずっと気に入らなかったんだ。俺の方が立場が上なのに。馬鹿なアイツに分からせてやったんだ」  ゴーシュは得意げに語っていた。グラスに入ったワインを飲み干し、汚くゲップを吐く。  根拠も何もない、ただ気に入らないという理由だけで、虚偽の情報を流す。 『あなたも、同じことをしたわ』  声が後ろから聞こえた。ふわりと抱きつかれ、白い腕が回った。  呼吸がうまくいかない。そうだ、自分も同じだ。根も葉もない噂話を流し、ミランダ・グレイを陥れた。「婚約者の品位を保つため」なんて正当化して、根拠をでっちあげて、孤立するように仕向けた。 (わたしも いっしょだ)  涙があふれて止まらなくなる。「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口に出そうとして、唇を噛みしめた。彼女だって何度も言っていた言葉を、自分は聞き入れようとはしなかった。なのに、自分は許されたいと願うなんてーーそんなことは、許されない。  くすくすと自分の笑い声がこだまする中で、私は静かに泣き続けた。
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