7.星降りの祭り

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7.星降りの祭り

   軽やかに去って行く2人の後ろ姿を見ながら、クライドは呟く。 「いやはや……なんだか眩しいですねぇ」 「同感ですわ」  しみじみと頷く。  クライドは小さくなる彼らの背中から、私の方へ向き合って提案する。 「もしよろしければ、こちらのお店に入ってみませんか?」 「私も気になっていたんです」 「息子から噂を聞いていて」「おや、偶然ですね。私もアナベルから聞きました」と会話をしながら店へ入っていく。ここまで偶然が重なっていても、私たちはこの出会いが仕組まれたことだと全く気づいてはいなかった。  *  店に入ると、そこはまるで博物館のようだった。  シックな色合いの壁一面に、ガラスに入った紅茶の茶葉が置かれている。ガラスには白いラベルが貼り付けられており、茶葉の名前や産地が記されていた。  新鮮だったのだろう、クライドは「おぉ」と感嘆の声をあげた。子どもらしい素直な反応に、くすりと笑った。  店長らしき年配の男性が、「試飲もできますよ」と説明をしてくれた。私は壁に飾られたラベルにざっと目を通したあと、3つの紅茶の試飲をお願いした。  そんな私の姿を見て、クライドは目を丸くする。 「お詳しいのですね」 「い、いえ。ただの趣味みたいなものです」  照れながら目を逸らす。クライドは言葉を続けた。 「恥ずかしながら、紅茶などすべて一緒だと思っていました。こんなに種類があるとは……」 「産地はもちろん、茶葉の収穫時期や天候によっても味が変わるんですよ。快適な天候が続けば安定した味をいつでも楽しめますが、雨が多いところだと毎年のように味が変わるので面白くて……」  にこにこと壁を指差しながら語っていると、はっと私は我に返った。  クライドの方を見れば、悪戯めいた笑みを浮かべている。 「ほら、お詳しい」 「興奮して語ってしまいました。お恥ずかしい……」  顔から火が出そうになり、片手で頬を抑えた。  紅茶の用意ができたのか、店長は木製のトレーを持ってきた。トレーの上には小さなティーカップが3つ乗っており、ふわりと芳しい香りが鼻をかすめた。 「こちらの茶葉は山岳地帯の高地で作られていて……」  店長の話に耳を傾けながら頷く私。  そんな私の横顔を、穏やかな表情でずっと見つめられていたことに私は全く気づいていなかった。  * 「いい買い物ができましたか?」 「はい。お付き合いありがとうございます」  宝物を抱きしめるように紙袋を引き寄せる。  店長の話を聞いていたら飲みたくなってしまい、試飲したすべての紅茶を購入した。 「せっかくなのでお祭りも楽しみましょうか」 「そうですね」  王都の大通りに到着すると、私は目を見開いた。歩くのも一苦労なほどの人が祭りを楽しんでおり、大盛況だった。  星のデザインが描かれたガーランドが街を彩り、旗の下では屋台がひしめき合っていた。  焼き物の香ばしい匂い、搾りたての果物を使った鮮やかなジュース、星をモチーフにした首飾りやイアリングなど、さまざまなものが売っている。商魂たくましい店員たちが、祭りにきた人々の注目を集めようと大声で呼び込んでいた。 「すごい人……!」 「祭りへ来るのは初めですか?」 「えぇ。王都へはあまり来ないので」  学園へ通っていた頃の記憶が浮かび、胸がずきりと痛む。もう15年も経っているのに、あの頃の記憶は針のように心臓を刺す。  急に顔をこわばらせたのを見逃さなかったのだろう。「大丈夫ですか?」と不安げに顔を覗き込まれる。  急いで笑みを作り、大通りに並ぶ屋台の数々を眺めた。 「もしよろしければ、見てもよろしいでしょうか?」 「もちろん……あ、」  何かに気づいたように、私の肩を引き寄せる。とんっと耳が軽く、彼の胸元に触れた。  先ほどまで私がいた場所に、ガタイのいい男2人組が通り過ぎて行った。話に夢中になっており、引き寄せてもらわなければ衝突していただろう。そのことに気づいた私は、慌てて「ありがとうございます」と顔を見上げて言った。  深い紺色の瞳と交わる。宿舎内では見慣れたその目が、太陽の下で見るとまた違った印象を受ける。室内の時よりも色が淡く、透明度が高い。夏の海のようだと目が離せなくなる。 「もしよろしければ、」と彼は微笑みを浮かべた。 「腕を掴んでいてください」 「し、しかし」 「この人混みだとはぐれてしまうので」  そう言われてしまえば断れない。  彼の左腕に軽く手を回し、「よろしくお願いします」と瞼を伏せた。 「こちらは持ちますね」と紅茶が入った袋をひょいと取られる。  感謝を伝えようと口を開いた時、腕の感触に気を取られ、言い損ねてしまった。  ーーなんて鍛えられた腕だろう。  彼はシンプルな長袖のシャツを着ていた。「半袖を着たら、『腕の半分だけ日焼けしててダサい!』とアナベルに怒られてしまって」と苦笑いした彼に、くすりと笑ったことを思い出す。ゆとりのあるシャツだったため見た目からは分からなかったが、服の上から軽く触れただけで、硬く力強い筋肉が張り詰めていることが分かった。  遠い昔に社交パーティで、ゴーシュに渋々エスコートされた日が蘇る。あの男の腕はぶよぶよで、隣に立つだけで体臭に耐えなければならなかった。  さらに身勝手に早足で歩くため、ヒールの靴擦れの痛みを我慢しながら追いつくのに必死だった。  クライドは人混みをやんわりと避けながら、エスコートをしてくれていた。おかげで、ただ歩いているだけで快適に屋台や祭りの風景を楽しむことができた。エスコートしてくれる人によって、こんなにまで歩きやすさが違うのかと舌を巻く。  彼は私を見おろしながら言った。 「そろそろ橋の方へと行きましょうか」 「はい」  随分とはしゃいでしまったと、夕焼けに染まる空を見つめる。途中から時間をすっかり忘れてしまっていた。  王都の大通りを抜け、祭りの目玉である、王都近くの大橋へと向かう。  願いを込めて火を灯したろうそくをランタンに入れ、橋を渡ると願いが叶う。祭りの期間中ならいつ行ってもいいと言われているが、ランタンの灯りが映える夜にしようと決めていた。しかし、 「……すごい人ですね」  私は大橋の様子を見て、絶句した。クライドも同じ表情を浮かべている。  みな考えることは一緒なのか、大橋の上は人でごった返していた。ランタンを持つ人々の歩みは牛歩より遅く、ほとんど時が止まっていると言っても過言ではない。大橋の上では警備隊が列が流れるように声を上げている。  あの橋を渡るには多くの時間と気力が必要そうだと察した。  大橋の近くに何箇所か設営されたテントを見る。テントではろうそくとランタンを購入することができ、人が分散されているからか、こちらはあまり時間がかからずに購入できそうだった。 「あの……」 「はい」 「ランタンを持って、川沿いを散歩するのはいかがでしょう」  私が提案すると、一瞬の沈黙の後、ぷっと吹き出した。  そして彼は朗らかに目を細めて言った。 「実は私も、同じことを言おうとしました」  *  川沿いを歩いていく。  王都に近いため、道も整備されており歩きやすい。橋の喧騒は遠ざかり、静寂が私たちを包んでいた。  10分くらい歩いただろうか。私たちは言葉なく立ち止まり、振り返った。民たちの生活に密接する巨大な川、遠くには先ほどまで私たちがいた大橋が見える。  橋の上のたくさんの灯りが、川の水面に映り、星のようだった。息を深く吸い込めば、夏のはじまりを感じさせるような青々しい匂いが鼻腔をくすぐった。  ランタンの中でゆらゆらと燃えるろうそくに視線を移し、彼に問う。 「火をつけるとき、何をお願いしましたか?」 「国の平和と、大切な方たちへの幸せを」  あたたかな願いだった。心の中に火が灯るような心地がする。  ぬるい風がふき、頬を撫でた。ろうそくは静かにゆっくりと燃え続けていて、見ているだけで心が落ち着いた。  少しの間、沈黙が包んだ。しかし気まずさはなかった。大橋で渡る人々と、川の水面に映る星々を、私たちはずっと見つめていた。  どのくらい見つめていたのだろう、クライドの独り言のような声が沈黙を終わらせた。 「今日は本当に楽しかった」 「え?」 「あぁいや、こんな風に穏やかに過ごせたのは久々で……」 「……私もです」  ぽつりと呟けば、視線を感じ、見上げた。  目が合い、しばらく見つめ合う。一瞬のような、永遠のような、不思議な時間が流れた。  昼間、夏の海のようだと思った彼の瞳が、また変化している。ろうそくの灯りが小さくゆらめいていて、夜空のようだった。  先に声を出したのは私だった。ふと彼が持ってくれていた袋を見て、思い出したのだ。 「すみません、こちら持ってもらって」 「いえ、」 「それで、その」  袋を受け取り、中から紅茶が入った陶器の容器を取り出した。 「鈴のお礼です」 「そんな、あんなオモチャのために」  クライドは片手をあげ断ろうとしたが、私は首を横に振った。 「こちらをいただいてから、悪い夢を見なくなりました。なので、受け取ってください」  鈴を受け取ったときは正直、半信半疑だった。  ただ彼が言っていることが嘘にも思えず、枕の近くに置いて眠った。するとあれだけ毎晩見ていたゴーシュの夢を見なくなった。うなされずに起きたのは久々で、朝起きたときに鈴に向かって感謝の言葉を言ってしまったほどだった。 「それなら、」と、クライドは申し訳なさそうな笑みを浮かべつつも、容器を受け取った。  紅茶の種類が書かれたラベルをじっと見つめている。私は説明した。 「ダージリンです。クセがなく、疲労回復などの効果があるので、お仕事の休憩中などにぜひ」 「では、今度一緒に飲みましょうか」  ぱちくりと目を瞬かせると、彼は悪戯めいた笑みを浮かべた。 「エレオノーラ様が淹れた紅茶の方がずっと美味しいでしょうから」  優しく穏やかな声に、「ご期待に沿えるよう、頑張ります」と小声で答えた。  私たちはしばらく笑い合い、辿ってきた川沿いを歩いて帰っていった。  
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