観音通りにて・弟

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 ふう、と、長く細い息で煙を吐き出した男は、俺に向かってというよりは、自分の斜め上当たりの空気に向かってといった感じで言葉を紡いだ。  「寝たかったから。誘ったら抱けた。抱いたところで、俺のものになるってわけでもないって、その頃は分からなかったし。」  今の康一みたいに、と、男は微かに唇を緩めた。俺は、黙ったまま男の次の言葉を待った。なにかとんでもないことを言われるのではないかと恐れる気持ちは確かにあったけれど、それ以上に、男の言葉を待ち望んでいる自分がいた。それを聞くことで、曖昧に漂っている自分の気持ちが少しでも分かるのではないかと。男はそんな俺の目を見もせずに、さらさらと水が流れるみたいに話し続けた。  「兄弟って、俺は弟だけなのね。この世に二人っきりの肉親でもあったし。俺のになるような気が、したんだよね。気のせいだったみたいだけど。何回抱いたかな。覚えてないや。弟がなんで俺に抱かれたのかも知らないし。」  「……俺も、兄貴と二人きりだよ。」  ほとんど考えもせずに出た言葉だった。言ってから、本当にそうだろうか、と考えた。父母はいる。確かにいる。この世に二人っきりの肉親では、ないはずだ。でも俺は、なぜだか男の言葉に共感している。  「康一も、そう言ってたね。」  男は笑った形の唇で煙草をくわえたまま、どことなく楽しげに言った。  「本当に抱きたいのが誰だかも分かってないんじゃいの。康一は。」  本当に抱きたいのが誰だかも……。  俺はなんだか頭がぼんやりしてくるのを感じた。多分、そんなに優秀じゃない俺の頭脳では、処理できる情報量を越えてしまっているのだ。  「……俺?」  ぼんやりした頭のまま、ぼんやりそう言った。男は笑みを深くしただけで、そうだとも、そうじゃないとも言わなかった。俺は、ぼんやりしているくせに、その脳裏にかかった霧の中でもがいた。  「でも、そんなの、ありかよ。兄弟だし、これまでずっと普通の兄弟だったし。そんなこと、一回も言ったことないのに。」  切れ切れの俺の言葉に、男は特段リアクションは取らなかった。俺はその反応を見て、さらに恐怖を募らせた。怖かった。兄貴も俺も、全然意味の分からない、暗くて遠いところに来てしまったみたいで。  脚が立たなくなる。そう思って、崩れ落ちかけた瞬間、男がソファから腕を伸ばして俺の腰を抱いた。きれいに筋肉が張り付いた、男の腕をしていた。俺はその腕の感触で、やっぱり兄を思い出した。兄にこんなふうに抱かれたことは、一度だってないのに。  俺の腰を抱いた男は、にっこり俺に微笑みかけた。そして、ごく当たり前のことを俺に教えるみたいに、やっぱりセックスしよっか、と囁いた。
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