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ドアを開けて、やっぱり薄暗い部屋に目が慣れるまで数秒。瞬きを繰り返した後、俺は室内の状況を把握して、唖然とした。
男が一人、部屋の奥のベッドに転がっている。兄貴ではない男が、裸で。
シーツ一枚かけられていない裸体は、白い石を彫って作ったみたいに均整がとれていて、俺ははじめ、それが生きている男ではなくて、マネキンかなにかかと思ったくらいだった。
兄貴の、友達だろうか。それにしても、なんで兄貴の留守に、裸でベッドにいるんだ?
頭が混乱して、それらの問いに対する答えが見つからなかった。なんだ、この男は。なんだ、この状況は。ポケットでは、まだスマホが鳴っていた。
ゆっくりと目を開けた男が、天井に視線を向けて転がったまま、ぼんやりと兄貴の名前を呼んだ。
「……康一?」
俺はその声を聞いたとたん、この男は兄貴のただの友人ではないと直感した。多分、声の質感で。留守を任されるくらい仲のいい男友達を呼ぶときに、こんな湿った声を出す男なんて、この世に存在しないだろう。
俺が言葉を失ったままその場に立ち尽くしていると、男は怪訝そうにもう一度兄貴の名を呼び、そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
女みたいな顔をしている、と咄嗟に思った。それも少女漫画の登場人物みたいに、白い、繊細に整った、顔。
「あれ、康一じゃない。」
男が目を瞬き、首を傾げる。少し癖のある髪が、シーツの上を滑って冷たい音を立てた。
「……弟です。」
俺は、警戒しながらそれだけ口にした。この、全く正体のわからない男に、個人情報を渡すのは嫌だった。
「おとうと?」
そんなんいるって言ってたっけな。
ぼうっとそんなことを口にしながら、男はベッドの上に身体を起こした。俺は、男がヌードモデルかなにかをやっているのではないかと思った。それくらい、ひとに身体を見られることに抵抗がなさそうな様子だったのだ。
「あの、兄貴はどこに?」
ようやく我に返り、自分がここにいる理由を思い出して、俺は男にそう訊いた。男は軽く首を傾げたまま、しごと、と答えた。
「仕事?」
「観音通り。」
「観音通り?」
「知らない? 駅裏の通りだけど。」
知らない。そう返答しようとして、俺ははっとした。
観音通り。その響きには、聞き覚えがあった。
駅裏。そうだ。このアパートの最寄り駅の裏手には、治安のよくないエリアがある。たしかそこは観音通りとか呼ばれていて、売春が横行しているとかいないとか……。
「え、兄貴、売春斡旋とかしてます!?」
さすがに兄貴のイメージとは違いすぎて、ありえないだろうとは思いつつ、俺は焦った。男の物言いにはなにか含みが合って、兄貴が駅裏のコンビニでレジ打ちでもしているとは到底思えなかったからだ。
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