夏めぐ

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 仕事を始めて数十分、なんとなく落ち着かない気持ちが胸の奥に浮き出た。何が原因なのかと思いながらパソコンを弄り始めて気付く。一つひとつの音が物のない部屋に響き渡っている。物の多かった実家ではこんなに物音はしなかった筈だ。  環境の変化に慣れないだけだろうと言い聞かせてマウスをクリックすると、またその音は大きく部屋の中に響いた。  その物音が気にならなくなったのは、次の日の夜、母から送られてきた三つの大きな段ボールが部屋に置かれた瞬間だった。  ひとつ目のダンボールを開けると目一杯詰め込まれた会社の資料が顔をだす。手に取ると欲しかった資料の殆どがその段ボールに入っている事が分かり、あと二つの段ボールの存在に嫌気が差した。  集め癖のある母のことだ。余計なものを送ってきているに違いない。僕はその段ボールを端に追いやって風呂の支度をはじめた。  1人でゆっくりとできる時間が増えたなと湯船に浸かりながら思っていると、頭の後ろから聞こえる軋んだ音が気になった。髪の毛がキュキュと音を鳴らす。そういえば最近、髪の調子が良くない。実家にあった市販のシャンプーを使っているはずなのに。そう思って実家の風呂を思い出してみた。  物の多かった風呂場。市販のシャンプーに母が勧めてきたトリートメント、お節介で買ってきた洗顔料と風呂で使うための櫛。風呂場を掃除するための道具。僕の風呂にはそのほとんどがなかった。当たり前の様に生活したいた場所にあったのは、あって当たり前じゃないものばかりだと気付いた。  明日、また母に聞かなくてはならない事が増えたと思いながら風呂を出る。軋んだ髪の毛を乾かし終えて夕飯の準備を始めながら、母の背中を思い出した。
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