3 潮音さんと反捕鯨勢力

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 放課後、ホームルームが早く終わった私が潮音さんの教室の前で待っていると、顔を合わせるなり彼女は怯えたような申し訳なさそうな顔で、「さあ行きましょう」と足早に昇降口へ向かった。  靴を履き替えようしたとき、潮音さんはシューズボックスの前で固まっていた。 「どうしたの?」  背後から彼女のボックスの中を覗き込む。  潮音さんの靴の中には、なにかぐちゃりとしたものが……卵の、黄身が、漂っていた。 「……なにこれ」  唖然とする私に、潮音さんは明るい声音を繕う。 「卵。もったいないことをするよね。まったく、私の靴はボウルじゃないのに」 「……どうして」  いったい誰が、いつから、なんのためにこんな幼稚な嫌がらせを?  諸々の問いに潮音さんはすべて解答を用意していた。  卵黄を洗い流した靴を持って、体育用の運動靴を履いて帰り道を歩きながら、潮音さんは説明を始める。 「私が生徒会長になるのを阻止したい人たちが、嫌がらせをしてくるの」 「……それって、こないだの昼休みの?」 「そう。紺頼さんが助けてくれたときの」  思い出してみると、あのとき潮音さんを取り囲んでいた連中は男女混合で、シューズのラインの色を見るに学年も入り混じっていた。 「あの人たち、なんなの?」 「……捕鯨反対の会、と名乗ってた」 「捕鯨……」 「私が小学生のとき、くじら肉が好物で、『くじら』というフードネームを名乗っていた事実を突き止めて脅してきたの……。おまえのような野蛮な人間なんか生徒会長に相応しくないって」 「だからってあんな嫌がらせする!? 先生に相談は……」 「捕鯨反対の会も、ある意味では立派な社会的活動だと思うから私には反論できないよ……私だって今では、くじらと名乗っていたことが恥ずかしいくらいだし……」 「だけど、」 「本当は私は一度しかくじら肉を食べたことがないんだけれどね……」 「……一度しか食べたことのないものを好物って言っていいの?」 「でも今まで食べたお肉のなかで一番美味しかったな……くじらのベーコン……」    記憶に浸って遠い目をしかけるも、潮音さんはすぐに我に返ったようで、「食に関する好みって、人に関する好み以上に他人にとやかく言われがちだよね」と眉を下げて笑った。 「紺頼さんだって、辛いものばかり食べてて傍から見てると心配になる。クラブケーキ差し入れしといてなんだけど」  話題が自分に向くのが嫌だからという理由もあるけれど、そもそもの原因を知るために私は訊ねる。 「潮音さんは、なんで生徒会長になりたいの?」 「私の公約を読んでくれてないの?」 「……きれいな学校とか、地域との交流とか、そういうことをみんなが本気で望むと思う?」 「思わない。でも、そういうことを考えてる人もいるってことを、みんなに知ってほしかった」 「だって、『卵を割らなきゃオムレツは作れない』って言うじゃない。言うよね?」 「さあ……初めて聞くけど」  首をかしげる私に、今度は彼女が訊ねた。 「湯葉さんのロマンティック・ハラスメントは、誰のためなの?」  潮音さんの目が私を見据える。 「湯葉さんはいつも誰かのためになにかを変えようとする。フードネームは、名前にコンプレックスがある子のためだったんでしょう? だって湯葉さんの本名は……白勢(しろせ)優芽(ゆめ)は、人はからかわれるような名前じゃないもの。好物をニックネームにしようだなんて、自分のために言いだしたんじゃないことは明らかだった」  私はまた嫌な汗をかきはじめている。十二月の寒風の中で。 「紺頼さん。……ロマンティック・ハラスメントは、あなたのためなの?」  人が人に恋をすることは当たり前だという認識に、傷つけられる人間がいる。  湯葉の主張が理解されるはずがない。  なぜって、そんなことで傷つく方がおかしいんだから。
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