2 御手洗くん曰く

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2 御手洗くん曰く

 ネットで近場の激辛料理を集めては、月に一度、食べに出かけるのが私と湯葉の趣味だった。  とはいえ辛党は私だけで、湯葉は上品な薄味を好むので本当にただの付き合いだった。おこづかいと時間の無駄と言ってもいい。  選挙活動は十二月上旬の二週間。  前半戦の一週間を終えた日曜日、新メニューの担々麵ができたというので駅近くの回転寿司屋に行く予定だったが、なぜか湯葉の選挙参謀の御手洗(みたらし)くんも同行することになった。  カウンター席がよかったのに湯葉は四人席を希望し、候補者と推薦者の仲である二人が並んで座り、私は湯葉と対面する形でレーンのそばに座る。  担々麵の前にイカも一皿食べておきたい。私がわさびを盛る様子を見るだけで御手洗くんは涙目になっていた。 「そう言えば知ってる?」  湯葉は箸の袋で箸置きを作りながら、にやりとこちらを見上げた。 「辛党ってマゾヒストなんだってね」  御手洗くんは眼鏡の奥の目を丸くして、眉間に皺を寄せた。  湯葉は普段、そのような言葉を男子の前で口にしないようだ。 「そもそもさ、辛党ってお酒好きな人のことだよ」  私がそう指摘すると、「揚げ足取り」と湯葉が笑みを消してつまらなさそうに言う。御手洗くんはうどんを注文し、寿司はいなりだけ取った。  私と御手洗くんが各々麺を啜る間、湯葉は時間をかけて茶碗蒸しを食した。  そのあと湯葉は私の担々麵を一口ちょうだいと言って、止めるのも聞かずにレンゲを奪ってスープを飲み、案の定涙目になった。  ハンカチで涙目を覆った湯葉がお手洗いに立ったのを見計らって、私は口火を切る。 「御手洗くんはロマンティック・ハラスメントってどう思ってる?」 「良いアイデアだと思うよ」  どこが、と私が問う前に「こういうキャッチフレーズって耳目を集めるのに有効だからね」と彼は眼鏡のブリッジを指で押し上げる。 「実際、中学生になった途端に色恋沙汰も必修科目みたいになっているのはどうかと思うよ」  小学生の頃から銀縁眼鏡の優等生で通っている彼の口調には淀みがない。  まごついたりせずにきっぱりと言い放つけれど、鋭さよりも柔らかさがある声は、説得力がある。    いっそ御手洗くんが会長になればいいのでは、と思ったけれどその気があるなら私に言われるまでもなく立候補しているだろう。だから代わりにこう尋ねる。 「御手洗くんは、どうして湯葉を会長に推すの?」 「俺は、湯葉みたいな人がみんなの上に立っていてほしいんだ」 「人のスープを勝手に飲むようなやつが?」  私の軽口にも御手洗くんは動じない。 「紺頼(こんらい)さんは格好いい名字だからわからないだろうけどね、俺の名字だとだいぶ苦戦を強いられるんだよ」 「……別にかっこいい名字だとは思わないけどなあ」 「それは贅沢というものだよ」  持つ者に持たざる者の気持ちはわからないんだ、と御手洗くんは零すけれど、小学生のとき級友だったんだから、彼の苦労は重々知っている。  「御手洗」をわざと「おてあらい」と呼んでからかう奴らはたくさんいて、訂正するのも面倒になったらしい彼はその手の野次には不本意そうにうつむいて耐えていた。 「でも、御手洗くんのフードネームってみたらしだったよね。みたらし団子が好きだから、って理由で」 「人からつけられるのと自分で名乗るのではまったく意味が違うよ」  湯葉のおかげなんだ、と彼はぽつりと言った。  体型のように年齢や努力次第で変わるものではないから、人によっては自分の名前が好きではないということは相当深刻な悩みになりうる。  中学に上がってもフードネームを使い続けている子は私たち以外にもいて、私たちの同級で無かった人たち──上級生の一部でさえ、後輩経由でフードネームという習慣を取り入れているらしい。  だからフードネームの考案者として湯葉に投票してくれる見込みのある三年生もちらほらいるそうだ。  御手洗くんが湯葉を見る目は、ただの友人というよりも──戦友という方がしっくりくる。同じ戦場で命運を賭ける仲間。  だけどそう思えるのは私が二人のことをよくわかっているからであって、周囲はそんな言い分納得しないだろう。  金曜日の朝、正門で選挙活動の一環で挨拶運動を行う二人に対し、朝からアツいねえと明らかな含意を込めた野次を飛ばす男子連中を、「今のがロマンティック・ハラスメントの良い例ですね! ありがとうございます!」と湯葉は朗々と声を張り上げて撃退したらしい。 「……紺頼さん、小学生のときはよく笑ってたよね。湯葉以外の友達もたくさんいたし」  突然矛先を向けられて私はスープの最後の一口を吹き出しかけた。  むせる私に彼はお冷を手渡しながら、それでも言葉は切らない。 「でも今は湯葉と一緒のときさえ、あまり笑わない。気が合わなくなったのに無理に一緒にいるのかなと思ったんだけど、こうやって休日出かける習慣があるなら親友であるのは変わらないんだよね。だったら原因は湯葉じゃないよね?」  御手洗くんの口調は決して非難がましくはないのに、責められているような気がするのは、彼に悪意があるからじゃなくて私の方に問題があるせいなんだろう。  演劇部の脚本担当である彼は、話す前にあらかじめ自分の『台詞』を頭のなかで一度吟味する癖があるそうで、雑談のときさえも言葉を慎重に選んでいる。 「たしか、一年生の終わり頃から……」  頼むから聞かないで。話したくない。誰にも話題にしてほしくない。  胃が痛くなってきたのは最後の一滴まで飲み干した担々麵のせいじゃない。  御手洗くんに悪気はない、心配してくれているだけだ、わかっている。でも担々麵を啜っていたときよりもずっと熱い汗がこめかみをつたう。  痛むのは、胃じゃなくて子宮かもしれない……ああ、今日って何日だっけ? 月に一度の食べ歩きは、万全のコンディションで臨みたいから絶対にかぶらないように気を付けているのに……。  口を開けば吐いてしまいそうで黙るしかない私の頭上に、「やあやあお待たせ、なんの話してたの?」とのんきな声が降ってきた。  湯葉は、御手洗くんの隣ではなく私の隣に掛けた。  うつむいて答えない私の代わりに御手洗くんが少し呆れた声で言う。 「湯葉は紺頼さんを見習うべきかもしれないって話だよ」 「わさびをおかずに米を食えるようになれって?」 「紺頼さんのデッドパンを会得すべきだ」 「え? なにパン?」 「デッドパン」 「パンはパンでも食べると死ぬパンはなーんだ、ってか?」  湯葉はおどけたが御手洗くんは無視した。 「直訳すると『無表情』だよ。演劇の意味においては、コメディの場において無表情を保つことでよりおかしみを増す、というような」 「うんうん、わからん。どういうこと?」 「漫才やコントだって本人たちが笑いながらやってたらおかしくないだろ? 真面目にボケるからツッコミが映えるのであって」  辛いものを食べている間は、私はなにも考えない。味覚に思考を支配される。 「そのデッドパンって、生徒会長になるために必要な技?」 「上に立つ者はいつでも堂々としているべきなのは明白だろう」 「それなら御手洗くんも会得済じゃん。きみが立候補すれば?」 「それは無理だ」  御手洗くんはブリッジをもう一度押し上げた。 「俺は、視線恐怖症だから」 「ああ」と私も湯葉も納得する。彼の分厚いレンズには度が入っていないのだ。
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