2 御手洗くん曰く

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 歩道橋の階段を上がる途中、湯葉がふと漏らした。 「『人はパンのみによって生きるのではありません』、って教えがあったよねえ」 「うん」 「続き、なんだっけ?」  忙しなく行き交う自動車の走行音のせいか、湯葉の声はいつになく小さい。 「……『主の言葉によって生きるのです』」 「おお、さすが。熱心な子羊よ」 「湯葉の方が熱心だったでしょ。お手伝いとかよくしてたし」 「クリスマス会のお菓子目当てに行ってただけだよ」  歩道橋を渡るとき、湯葉は私の隣に並ばず後ろを歩く。狭い通路で他の歩行者の邪魔にならないように。  湯葉と行動していると、自然とマナーを守ることになる。社会の常識や礼儀を、湯葉は当たり前のように守るから。  そう気づいた途端、腑に落ちる。  湯葉のような人がいてくれると、安心する──御手洗くんが湯葉を推薦するのは、こういうことなんだろう。 「……生徒会選挙のこと、大丈夫?」 「え?」 「今日、御手洗くんと色々話し合う予定だったんじゃないの?」    御手洗くんとの作戦会議が私との外出の約束と重なってしまい、先に約束していたこちらを優先してしまったのではないかと不安になった。そんなに気を遣わなくたっていいのに。 「いえいえ全然。御手洗くんにもたまには息抜きしてほしいから誘っただけだよ」  かえって(かのと)に気を遣わせちゃったね、と笑う湯葉は、屈託ないというよりも如才ない笑顔だった。  じゃあどうして御手洗くんは来たのだろう。釈然としなかった。  ……もしかして、彼は私が以前より明るくなくなったということを気にかけて、湯葉が原因なら仲を取りもとうと気を遣ってくれたということなんだろうか? 「(かのと)、選挙のこと心配してくれてるの?」 「そりゃするよ」  ロマンティック・ハラスメントを広めてしまったからには、湯葉はさまざまな噂の種になってしまっている。 「うーん、私が美人だったらもっと色々ひどいことを言われてたんだろうけどさ。そんなに心配いらないよ」 「そういう話じゃないよ」 「そういう話だよ。いやー、私、才色兼備じゃなくてほんとに良かったと思う。じゃなきゃもっと白い目で見られてたって、絶対」  湯葉はお世辞にも、誰もが振り向く美少女というわけではなかった。  スナック菓子を一袋開けると即日肌が荒れるし、ふくらはぎが人より太めであることを気にしている。  湯葉が人から褒められるとき、もしくは羨ましがられるときに使われる言葉は「文武両道」だ。  昔から、湯葉はなんでも人より上手にできた。どんな科目でも軽々と平均点以上を叩きだした。  湯葉がいるとクラスの平均点が上がってしまうが、わからないところを尋ねると丁寧に教えてくれるし、授業中に難問が出題されると結局はいつも湯葉が指名されるので助かる部分も大いにある。 「見た目が平均以下だから、みんな、私が勉強できても運動できても許せるんだよ。どれだけ私が良い成績とっても、『でもアイツ、ブスだよね』の一言で済むから」  まったく卑下していない様子で笑う湯葉に、そんなことないよ、とは言えなかった。  だって、湯葉は否定や慰めや励ましの言葉を求めているわけではない。  あきらめたような物言いは、人から貶されることやもっと別の顔に生まれたかったという気持ちがこもっているわけではない。  たとえ誰もが振り向く美少女に生まれていたとしても、湯葉の恋が実ることはないとあきらめきっているからだ。  私はどんな返事をすることもできずに、ただ息を吸った。  肺がひどく痛かった。
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