3 潮音さんと反捕鯨勢力

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3 潮音さんと反捕鯨勢力

 選挙活動二週目の月曜日の昼休み、購買に向かう途中で一人の女子が複数の生徒に絡まれている現場に遭遇してしまった。 「一体全体、どういうことだ」 「説明してもらおうじゃないか!」  見るからに不穏な雰囲気と険悪な言葉。中心に立たされた女生徒はうつむいて「あの……それは過去のことで……」と小さな声でしどろもどろになっている。 「ねえ、潮音(しおね)さん」  唐突に割って入った私に、複数の視線が刺さる。そのとげとげしさに気づかないふりをして、彼女にだけ呼びかける。 「さっき先生が探してたよ。生徒会選挙のことで」 「え……」  潮音さんが顔を上げる。  周囲の生徒たちは顔を見合わせるが、「急ぎの用だって」と私が念を押すと、彼らはしぶしぶ道を開けた。  職員室に続く渡り廊下の途中、潮音さんは二歩ほど遅れて私のあとをついてきた。 「あの、紺頼(こんらい)さん、先生ってどの?」 「嘘だよ」 「嘘!?」彼女はぎょっとした。「まさか嘘を吐いて私のことを助けてくれたっていうの!?」 「ちょっと、もっと、静かに。まだあの人たちに聞こえるかもしれない」  ちょっとオーバーリアクションすぎやしないか。こういう人だったかな。  首を傾げる私に、潮音さんは顔をずいっと近づける。  思わず私は一歩下がったが、潮音さんは感極まった様子で私を見つめている。 「なぜ……だって、紺頼さん、あなたは私の敵でしょう!」 「え? 敵、って?」 「紺頼さんは湯葉さんと親しいでしょう?」 「ああ、まあね……」  それと何の関係があるんだと思ったけれど、突っ込んだら面倒なことになりそうだったので「それじゃ、私は購買に行くから」とそそくさと手を振ろうとした。  が、その手をがしっと掴まれる。両手で。  望んでいない他人の感触に、ひっと声を上げそうになるが、潮音さんのソプラノに遮られる。 「助けてくれてありがとう! あなたはとても公平な人だね!」  十二月なのに私は顔から、体じゅうから汗を吹き出す。でも潮音さんは私の様子になどお構いなしに、熱く宣言をした。   「湯葉さんによろしく伝えて! お互いがんばりましょうって!」 「……って言ってたよ、潮音さんが」 「潮音さん? 潮音さんって……あの、くじらの?」 「そう、くじらの」 「あの、くじら肉の?」 「そう、くじら肉の。なんで言い直した?」 「念のため……」  教室に戻ってそう報告をすると、湯葉が首を傾げてお弁当の包みを開く。  私もからしマヨネーズハムサンドイッチの封を切るけれど、食欲は減っていた。  すでに昼食を終えたらしい御手洗くんは湯葉の隣に座って、過去の選挙活動の記録をまとめた冊子に目を通している。  潮音さんは、湯葉がフードネームを提唱した当時の同級生だった。  三つ編みに眼鏡をかけた生真面目な外見は当時から変わっていない。小柄な身からは想像もつかない声量の持ち主で、放課後はコーラス部のソプラノとして活動している。  湯葉と同じく学業成績も優秀だけど、湯葉のようにクラスのリーダー役に選ばれたりするタイプではなかった。生徒会長への立候補は、彼女にとって相当思いきった決心なのかもしれない。 「お互いがんばりましょうと言っても、湯葉も潮音さんも当選からは程遠いけれどね」と、御手洗くんが冊子から顔を上げる。 「おいおい、水を差すなよ御手洗くん~」 「人を箸で差すんじゃない」  軽い調子で言い合う二人に、私は目を丸くする。 「え、当選からは程遠いって、ほんとに?」  生徒会長の立候補者は全部で五名。女子が三名、男子が二名。  御手洗くんの分析によると、当選一位と思われるのは、テニス部の男子だ。明るくて先輩後輩の繋がりが広い。湯葉と潮音さんは文化部の女子からの票は集められるかもしれないが、運動部の女子はテニス部の彼に入れるだろう……というのが御手洗くんの見立てだった。  湯葉にはフードネーム関連での投票見込みはあっても、やはり一位には届かない。 「待ってよ、なんで二人ともそんなに余裕そうなの? それに、なんで……」    湯葉も御手洗くんも毎朝正門に立ち、帰りのショートホームルームの時間には各クラスを訪問して演説をしているのに、すでに負けを受け入れているような雰囲気を漂わせていた。 「まだ……負けるって決めたわけじゃないでしょ?」 「どうした(かのと)、急に熱血になっちゃって。またハバネロ食べすぎた?」 「茶化してる場合か! 人が心配してるのに!」  私が怒っても呆れても、湯葉はいつもけらけらと笑って流す。  御手洗くんによれば、潮音さんの美しい声で挙げられた公約は甘い内容ではなかった。  清掃活動に力を入れて美しい学校を保つ、ボランティア活動を活発に行い地域社会との交流をはかる、など大人ウケはよさそうだが生徒からは見向きもされない内容。 「潮音さんの公約は現実的すぎるんだ。嘘を吐かないのはいいことだけれど、これじゃ支持者がつかない」 「ちょっとちょっと御手洗くん、私だって現実的だよ。意見箱を設置して皆さんの声に耳を傾けてより良い学生生活を……」  湯葉の公約も似たようなものだったが、ロマンティック・ハラスメントを失くしたいという宣言は学校中の関心を大いに集めていた。 「ロマンティック・ハラスメントの禁止も現実的だって思ってるの? 本気で?」  思わず割って入らずにはいられなかった。  二人は口を止めて私を見る。  自分の顔がこわばり、声も固くなるのがわかったが、止められなかった。 「湯葉。中学生なんて盛りのついた猿同然だよ。そんな奴らにロマハラ禁止なんか、通じるはずがない」 「だから、そうやって盛りがついて当然って認識がだめなんだって!」  湯葉の声に教室中から視線が集まるが、湯葉は気にも留めずに私を見据えている。  御手洗くんもこういうときに限って湯葉を諫めたりはせず、しきりに眼鏡のブリッジを押し上げながら、「思春期という言葉は免罪符にはならないよ」と同調する。  それから二人が今日の教室訪問の打ち合わせを始めるのをよそに、私はからしマヨネーズハムサンドイッチを齧り始める。  もうからしだけ舐めていたい。
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