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「本日で退社します。お世話になりました」
桔梗はデスクを片付け、フロアを出た。振り返ってみる。が、美鷺はいない。ああ性格悪いな自分、と桔梗は自覚する。いつも後ろにいた美鷺の劣等生ぶりを見て自分の方がちゃんとしている、と確認していた気がする。
その美鷺がいない今となっては、本当にちゃんとしていたのかわからなくなっていた。ただ平均的に物事をこなせた器用貧乏に過ぎなかったのでは、と。
懐には、美鷺の縦笛があった。これと一緒に桔梗は旅に出る。
美鷺が本気で楽しんだと信じられる何かを見つけないと、胸の圧迫感が取れそうにない。喉も息も詰まって内臓の鉛も溶けない。
その吹き矢をそっと吹いてみたが、桔梗の膨らますシャボン玉は、浮いたらすぐに消えてしまう。
桔梗ができることを美鷺はできない。けれど美鷺ができることを桔梗はできないのだ。
そんなことに今更気づくなんて。
いや、ずっと前からわかっていた。だから、腹立たしかったのだ。
まずは里へ帰ろう。その頃の知り合いに聞いて回ろう。それから今辞めたスイープ会社で再会するまでに美鷺と接した人たちに。
そこから見つけてゆこう。桔梗が知ろうとしなかった美鷺の「楽しみ」「喜び」「嬉しさ」を。少しずつでいいから集めてゆこう。
並行して、割れないシャボン玉が作れるよう日々努力する。あのバレッタの絵のように、そこに美鷺の大切にしていたものを、一つ一つ収めるために。
それができたら、桔梗自身もシャボン玉の中に入れたくなる何かが――見つかるような気が、した。
(終)
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