40. 連れ去り

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40. 連れ去り

 洞窟を抜ける。明かりに照らされた、水面が見えた。  サフィラが先に顔を突き出すと、クラヴィスも水面へ顔を出す。必死に空気を吸い込むクラヴィスの背中をさすりつつ、サフィラは辺りを見渡した。  そこは、誰もいないのに明かりがついた空間だった。壁には古代文字がびっしり書かれており、床には魔法陣が描かれている。レガリア島地下にあった空間と、ここはよく似ていた。  サフィラは息をのみ、ぐるりと周囲を見渡す。生まれ育った島の地下の思いもよらない姿に、彼は静かに驚いていた。  クラヴィスが、地面をつま先で叩く。 「魔法陣は、レガリア島と同じものか?」 「ううん。違うよ」  ほら、とサフィラは魔法陣の四隅を指さす。 「あそこには書かれてなかったモチーフがある。これは、シーサーペントの印だ」  ふむ、とクラヴィスは魔法陣をよけて歩きはじめた。サフィラも壁へと視線を走らせる。 「海亀伝承……」  サフィラは端から端まで視線をすべらせる。その顔が少しずつ強張り、眉間にしわが寄っていった。  唇に手を当て、読み上げる。古代語の響きに、クラヴィスは驚いたように片眉をあげる。 「何と書いてあるんだ?」 「海亀の、海蛇殺し」  掠れた声でサフィラが言う。クラヴィスはぎょっと目を剥き、口をぽかんと開けた。それに構わず、サフィラは続ける。 「ここは、マーレの母胎の中だ。ここでウォルプタース家の先祖たちは、テストゥードーの祝福を受けた」  サフィラが右足のつま先で、地面をなぞる。 「ウォルプタース家は、マーレに仕える神官の一族だった。テストゥードーは、彼らが祀っていた、二番目の神だ」  サフィラは、手首にぶらさがった海亀のチャームを握った。白くざらついた質感のそれは、骨によく似ている。 「ここで、マーレへ捧げていた『蘇りの水』を撒き、テストゥードーへの忠誠を誓ったとある。千年に一度、その儀式をするんだ。蘇りの水の材料は、果物の果汁を発酵させ、まじないをかけた酒。その後に」  二人の脳裏に、アウレア島での出来事がよぎった。サフィラは、震える唇で続けた。 「ウォルプタース家の、直系の血を撒く。当主であれば、なおのこといい」  そして。サフィラは、ひきつった笑みをクラヴィスへと向けた。暗い瞳で、自身の胸を掌で叩く。 「マーレを不完全な状態で復活させ、ひとときの逢瀬をもたらす。それが、ウォルプタース家が代々担ってきた、テストゥードーへの奉仕だ」  どうしよう。サフィラはクラヴィスへ、虚しい響きをまとった声で話しかける。 「これによると僕の先祖は、なんでかは分からないけど、マーレを裏切ったらしい。そうしてテストゥードーの寵児となったんだって」  サフィラは、掌をきつく握りしめた。そこには、ナイフで切った跡が、くっきりと残っている。 「テストゥードーとともにマーレを殺し、その死体の上に、家を築いた。それを千年に一度、何度も、繰り返した。こんなにたくさんの、島々ができるくらい」 「サフィラ」  クラヴィスはサフィラを呼ぶ。しかし、サフィラは止まらない。ふらふらと壁伝いに歩き、古代語を現代語へと言い換え、話し続ける。 「ウィータはマーレを殺してなんかいない。テストゥードーがマーレ殺しの罪をかぶせて、口封じのために殺した」  うたうように、憑りつかれたように、神々の愛憎劇を口にする。待ってくれ、とクラヴィスはサフィラの肩に手をかけた。 「お前の言うことが本当だとして、俺たちがすべきことは別だ。マーレを蘇らせないのであれば、お前が儀式を行わなければいいだけだろう」  サフィラは、ゆっくりとクラヴィスの方を向いた。俯き、うん、と頷く。 「……だけど、僕はもう契約をしてしまった」  サフィラの冷えた指先が、手首のチャームに触れる。ちりちりと、白い海亀の印が揺れた。 「今の僕は、テストゥードーのしもべだ。僕の肉体はテストゥードーの糧として――」  サフィラが、急に口をつぐむ。クラヴィスが怪訝な顔で彼を呼ぶと、その手がぺたぺたとサフィラ自身の身体をさぐりはじめた。 「え、なに、これ」  サフィラの意志ではない。クラヴィスは反射的に剣を抜き、「誰かいるのか」と叫んだ。返事がないまま、サフィラの手が彼のナイフに当たる。  そのまますらりと刃を抜き、彼の腹部へ、無音のまま切っ先がつけられた。  サフィラも、クラヴィスも、言葉を失う。その刃は、高く振り上げられた。白刃がひらめき、サフィラ自身の腹部へと突き刺さる。 「え?」  戸惑うサフィラの身体が、崩れ落ちる。その下腹部から流れ落ちる血が魔法陣へと滴り、赤く濡れていった。 「サフィラ!」  クラヴィスは駆け寄り、サフィラの身体を起こす。ナイフは柄まで身体へ刺さり、血がじわじわとあふれでていた。  ここで抜けば、余計に出血させるかもしれない。クラヴィスは咄嗟の判断で衣服を裂き、傷口にナイフを固定した。これ以上突き刺さらないように、動かないように。  サフィラは朦朧としながらも「クラヴィス、いたい」と呻いている。  一刻も早く、医者に見せなければいけない。 「上がるぞ、しっかり意識を保て。眠るなよ」  そう言って、サフィラを担いで出ようとしたときだ。  ひゅう、と水が波打つ。 「やあ。クラヴィス、サフィラ」  白く丸い甲羅が浮き上がり、海亀が陸へとあがってくる。テストゥードーが、のんびりと陸地へとひれをつけ、あがってきた。 「何の用だ、テストゥードー」  クラヴィスが威嚇するように唸る。テストゥードーは「契約違反だ」と、ひれで地面を叩いた。 「サフィラの魂は前払いしてもらっている。それを勝手に取り戻されると、こちらとしても示しがつかないのでね」  喉を鳴らして荒い呼吸を繰り返していたサフィラの身体が、バネ仕掛けのおもちゃのようにクラヴィスの腕の中で跳ねる。咄嗟に押さえたクラヴィスを跳ねのけて、サフィラの身体は地面へと落ちた。 「サフィラ!」  その身体はぎこちなく地面を這い、海へと向かおうとしている。サフィラは痛みに顔を歪めながらも、テストゥードーを睨んだ。 「どうして、マーレを、殺した。どうして、僕たちに執着する……!」 「愛しているからだ」  きょろり、と海亀が瞬きをする。 「愛しているから、私だけを見るように作り替えたかった。しかしそこの神官一族がことをしくじったので、そうはならなかった。これは、お前による、先祖のための(あがな)いだ」 「理解できない」  サフィラが吐き捨てると、「それはこちらの台詞だ」とテストゥードーが嘲笑う。 「愛していると言いながら、手放して終わらせようとする、身勝手な臆病者の気持ちなど。私には分からんよ」  そうして、海亀の姿が変容していく。それは輝かんばかりの白髪をなびかせた、美しい偉丈夫だった。赤い瞳で二人を冷たく見下ろし、サフィラの身体を掴んで引きずる。 「とまれ……!」  クラヴィスが切りかかろうとも、その肉体には傷ひとつつかない。顔を歪ませるクラヴィスを笑うでもなく、テストゥードーは呟いた。 「まあ、いい。これで儀式はなされた。次の新月の晩に、彼女は目覚める」  テストゥードーはそう言って、サフィラを抱えたまま海へと入っていく。追いかけようとするクラヴィスを、せりあがる水流が阻んだ。 「サフィラ、サフィラ!」  必死でサフィラを呼ぶクラヴィスを嘲笑うように、テストゥードーが振り向く。サフィラはその腕の中で、ぐったりと意識を失っていた。 「ひとつだけ、こいつをお前のもとへと戻す条件をつけてやろう」  は、とクラヴィスの呼吸が止まる。テストゥードーは、精悍な笑みを顔に浮かべた。 「マーレを、悠久の狂気から解き放て。私を愛するマーレを再び取り戻したとき、この神官のすえを返してやる」  大波がクラヴィスを襲う。目を瞑りながらも、クラヴィスは一歩踏み出した。  途端に、その身体を海がさらっていく。必死に抗って泳ぐクラヴィスのぼやけた視界に、白い後ろ姿が焼き付いた。
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