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10. 歓待
こうしてあれよあれよとサフィラとクラヴィスは歓待を受けた。時刻は昼過ぎ。人形劇は晩餐の際に上演されるとのことなので、それまで時間がある。
サフィラはメトゥスと、亡き両親との思い出話をしていた。頑固で実直で、厳格な人だった父のラティオ。真っすぐで明るくて、優しかった母のクルトゥーラ。
「きみはクルトゥーラに似ているな」
「よく言われていました。弟のアルスは、大きくなってから父に瓜二つです」
メトゥスは居丈高な態度を一変させて、サフィラには親切に振る舞った。サフィラの話にうんうんと頷き、目元ににじんだ涙を拭う。
「それにしても、まさか二人の息子と再会できるとは。どうだ、ここに住んでは。うちの子どもの誰かと結婚すれば、俺もきみの面倒を見る名分が立つ」
「いやいや……」
冗談だろう、とサフィラは首を横に振る。彼は「そうか」と少し残念そうにして引き下がった。
それからクラヴィスたちに向き直り、人懐っこい笑みを浮かべる。
「君たちも、うちの息子を助けてくれたみたいだな。礼を言わせてくれ」
アウクシリアは困ったように頭を掻く。クラヴィスはにこりと微笑んだ。よそ行き用の笑みだった。
「いえ。俺の愛しい人が、彼らを助けたいと言いましたので」
サフィラは、照れることすらしなかった。メトゥスは一瞬あっけに取られた後、「そうか……」と戸惑ったように視線をさまよわせる。
「クラヴィス。きみが変なこと言うから、メトゥスさんも困ってるじゃないか」
「何も変なことは言っていない。事実だ」
アウクシリアは愉快そうに喉を鳴らして笑い、「お熱いね」と冷やかす。メトゥスはひとり、「そうか」と呟いた。
「クルトゥーラの息子がな」
その目つきが黒々と光り、サフィラの背筋に冷たい何かがぞわりと走った。しかしすぐに明るい声で、「とにかく、今晩は楽しんでくれ」と彼は笑う。
「俺が集めた古い伝承の一つ、海の女神マーレと太陽の恋物語だ。人形劇なんだが、サフィラくんは、こういうの好きかい?」
「はい、好きです」
「それはよかった。うちが支援している劇団が上演するんだが、なかなかの出来だから期待していてくれ」
「はい」
「サフィラくんは普段、どうやって生計を立てているんだ? 弟くんは、今どうしてる?」
「学者をしています。アルスはもう独り立ちする予定です」
フェキレは客間から既に去っている。置いてけぼりのクラヴィスとアウクシリアは、大人しく歓待のために出されたジュースを飲んでいた。
(気まずい……!)
内心、頭を抱える。それとなく話を広げようにも、隙がない。メトゥスはあれこれ思い出話をしたがり、サフィラの話だけを聞きたがった。
サフィラが耐えきれずに立ち上がってお手洗いの場所を尋ねると、使用人が案内してくれる。
そして一人で向かうふりをして、誰もいない静かな廊下にへたり込んだ。やっと落ち着けた、と一息つく。
「なんで僕にばっかり……」
すっかり参ってしまった。サフィラは、ふうと息を吐いて立ち上がる。廊下の奥からぱたぱたという足音が聞こえた。ひょっこりとフェキレが顔をのぞかせる。
彼は少し気まずそうにして、「すみません」と俯いた。
「うちの親父、悪気はないんですけど、人の話をあんまり聞かなくて」
彼なりに苦労しているのだろう。サフィラが首を横に振ると、フェキレは「何かあったら、言ってください」とへらりと笑った。
「ああいう風になった親父、面倒なんです。気に入った人はとことん面倒を見たがって、その、……迷惑、でしたよね」
口ごもるフェキレ。サフィラは微笑ましいような嬉しいような切ないような、困ったように口元を緩ませる。
サフィラは、年下に滅法弱いのだ。
「よく、ああいうことがあるんですか?」
「ときどき。宴にもその、お気に入りの人を呼んでるみたいで。親父、酒癖もよくないし、その……無理矢理飲ませたり、とか……」
口ごもるフェキレに、サフィラは安心させるように微笑んだ。
「ありがとうございます。心配してくれて」
「いや、その、そんなわけでは」
何やら気まずそうな、照れくさそうなフェキレ。
「と、とにかく、気をつけて。何かあったら言ってください」
フェキレは、どこか不安げな表情でサフィラの瞳を見つめた。サフィラは礼をして、客間へと戻る。
そしてサフィラが不在の間、残された三人の間で話は弾んでいなかったようだった。豪勢な客間には、気まずい沈黙が流れている。
「おお、サフィラくん。おかえりなさい」
扉を開けた途端、熱烈に歓迎するメトゥス。サフィラの嫌な予感が実体を持ちつつあった。
この男は、なぜかサフィラに執着している。
サフィラはクラヴィスの方に寄っていき、彼の膝の上に乗った。驚く三人をよそに、クラヴィスの耳元で囁く。
「メトゥスさんがきな臭いから、探ってくる。だから、邪魔しないでね」
その言葉に、クラヴィスは頬へのキスで応える。サフィラはクラヴィスの身体に、わざとらしく体重を預けた。アウクシリアが「熱烈じゃねえか」と冷やかす。
「若いっていいなァ」
しみじみと言うアウクシリアをよそに、サフィラはメトゥスに視線をやった。何の感情も読みとれない瞳は、サフィラを見つめている。
「アウクシリアさん」
サフィラは彼の耳に口を近づけた。
「僕はこれからメトゥスさんを探ります。たくさんバカなことをしでかすけど、自分でなんとかするので、適当に助けてください」
アウクシリアは呆れたように口を尖らせた後、「いいぜ」と頷く。大きな手でサフィラの髪の毛をぐしゃぐしゃにして、にやりと笑った。
「大暴れしてこい」
彼はおもむろに立ち上がり、どこかへと行ってしまった。
「ちょっと用を足してくる」
ひらひらと手を振りつつ、彼が向かったのは玄関の方だ。サフィラはその背中を見送りつつ、ジュースに口をつけた。
「甘い、ですね」
思わず口に出すほど、甘かった。その奥になにかが隠れている気がする。舌の上で液体を広げると、ほんのりと熱い。
魔力だ、とサフィラは気づく。魔法使いでないと気がつけないような、ほのかな魔力が込められていた。
(魔力やまじないを込めた飲料は普通、許可を取った上で薬として流通させなければいけないはずなんだけど)
「うちの島特産の果物を使っていてね。評判がいいんだよ」
「なんという果物ですか?」
そう言って彼が口に出したのは、たしかにこの島でよく売られている果物の名前だ。しかし、その果物は魔力を貯め込む性質ではない。
(つまり、どこかで魔力が込められている。まじないをかけた?)
サフィラが考え込んでいる間にも、メトゥスは滔々と語り続ける。
「うちの酒蔵では、この果汁を使って果実酒を作るんだ。これは発酵前のやつなんだが、なかなか美味いだろう」
ふむ、とサフィラは頷く。メトゥスの指に光る何本もの指輪が鈍く輝き、サフィラへと指先が向いた。
「今晩の劇の後、皆に振る舞うから、ぜひ飲んでいってくれ」
「ええ」
頷きつつ、クラヴィスと目を合わせる。彼は肩をすくめて、「たしかに、美味いな」と呟いた。
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