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11. 人形劇
テストゥードーの長い昼はやがて終わり、日が沈んで夜更けになっていく。劇団員たちが大荷物を持って、いよいよ屋敷へと入ってきた。大広間に舞台が設置され、使用人たちや近隣の人々が集まってくる。
サフィラは、クラヴィスとアウクシリアとともにその景色を眺めていた。
いよいよ、人形劇が始まる。なんとなく浮ついた空気にそわそわするサフィラに、アウクシリアが腕組みをして「はしゃぎすぎるなよ」と口の端をあげる。
「しかしまあ、豪勢なこった」
彼の言うとおり、確かに個人の屋敷でやるにしては大掛かりな芝居だ。それだけメトゥスがこの島で持つ影響力が窺える、と言うべきか。クラヴィスはサフィラの隣に立って、警戒するように視線をあちこちへと走らせていた。
「しばしば、こうした催しを開いているらしい。よほど文化への興味関心が高いのか。それとも」
サフィラは、組み上がっていく舞台を眺めていた。日が暮れてすっかり暗くなり、舞台が組まれた中庭に明かりが灯される。
「サフィラくんは、こっちに来てくれ」
メトゥスが、サフィラを呼んだ。サフィラが二人を振り返ると、メトゥスは首を竦めた。クラヴィスはサフィラの瞳をじっと見つめて、もの言いたげにする。
「待ってて」
サフィラはちいさく囁いて、二人のもとを離れた。メトゥスはサフィラの姿に相好を崩し、自らの隣の席を叩く。特に抵抗もせず、そこに収まった。
こちらを気遣わしげに見るフェキレに手を振り、サフィラは組み上がった舞台へと視線を向けた。
「よく、こういった催しをされていると聞きました。こんなに時間と手間がかかるものを個人で開かれるとは、素晴らしいです」
「そうだろう。俺は、こういうのが好きでね。つい金をかけてしまうのさ」
メトゥスは黄ばんだ歯を見せて笑い、酒を煽る。サフィラにも杯を差し出したが、やんわりと掌で押しのけた。
「劇はいい。特に今日のは、うちに置いてある本にしか書いていない、特別な伝承をもとに作られているからね」
特別な伝承。サフィラの目が輝くのを見て、メトゥスは得意げに唇を歪めた。
「そうだ。いくら素晴らしい宝を持っていたとして、それを見せなければ何の意味もない。死蔵しているより、こうして衆目の前で演じてみせたほうが、よっぽどいい」
サフィラは曖昧に微笑み、膝を抱えた。メトゥスは酒をもう一口煽り、なおも続ける。
「俺の作った素晴らしい舞台を、ぜひ楽しんでいってくれ。クルトゥーラも、こういうのは好きそうだった――」
メトゥスがさらに続けようとしたとき、一斉に楽器の音が鳴った。劇が始まるのだ。
クラヴィスとアウクシリアは壁際に立ち、舞台上を見ている。次々と演者が舞台に躍り出て、演技を始めた。
あらすじは、こうだ。
世界のはじまりに、ひとりぼっちだった海の女神。彼女はたったひとりで、地の神、風の神など、数多の神々を生み出す。その中のひとりである太陽神テストゥードーは彼女へ求愛し、女神はそれに応えた。
(ウォルプタース家の古い聖句。創世の蛇から生まれた、泳ぐ太陽)
ぞわ、とサフィラの腕に鳥肌が立つ。一般的に伝承では、海の女神マーレと創世の蛇は別物として捉えられていた。
しかしこの話では、マーレと創世の蛇――シーペンサーを、同一視しているようにも思える。
太陽と海が交わることで、魔物や人間、さらに多くの神々が生まれた。しかしマーレは、二人の最初の子どもである魔物ウィータに殺されてしまう。
「おお、マーレ。私の母、私の妻。私たちの子は、獣だったのだ」
舞台の上で男の人形が崩れ落ち、おいおいと泣く。そして女神の遺体を水底に沈め、彼女の新たな住まいとした。
テストゥードーは亡きマーレを恋い慕って、死んだ魔物や人間の魂を連れて夜な夜な西の水平線に沈む。そうして、身体のない魂を孤独な彼女のもとへ連れていくのだ。海の底は冥界であり、死した女神の楽園。
(たしかにマーレは輪廻転生の象徴だ。だけど、太陽が彼女への慰めとして魂を連れてくるというのは、面白い解釈だな)
サフィラは、舞台を食い入るように見つめた。ひとつのシーンも見逃すものかと、瞬きすら惜しい。
(それに魔物と人間をきょうだいのように扱うだなんめ、聞いたことがない)
考え込むサフィラをよそに、舞台上では女神の弔いの宴が催されていた。神々をも酩酊させる特別な酒が振る舞われ、皆が口にする。
魔物ウィータには、酩酊させるまじないのかけられた酒が振る舞われた。酩酊し、意識のないその身体を、テストゥードーが海へと放り投げる。こうして魔物は陸から追放され、海中をさすらうようになったのだ。
魔物は知恵を失い、獣となり果て、母殺しの罪を永遠に背負う。人を襲っては殺し、マーレへの慰めとなる死した魂を増やすことが、彼の贖罪なのだ。
随分と、過激な舞台だ。同時に知の興奮で、そわそわとつま先が揺れる。足の指をばらばらに動かしつつも、どこか心は冷えていた。
(家の資料にも、こういうのが載っていたのかな。僕が散逸させてしまったから)
両親を亡くした当時、サフィラはまだ十六歳だった。社会の中で右も左も分からないまま、アルスと暮らしていくために必死だった。
家宝や形見や、貴重品を売り払って、世間知らずなりにも当面の生活費を稼ごうとした。思い出に手をつけてでも、アルスを食わせてやりたかったから。
そのくせ、この海亀のチャームだけは、どうしても手放せなかったのだ。ことあるごとに、「これはサフィラのものだ」と父から言われていたせいかもしれない。
どうせ売っても、大したお金にはならなかっただろうし。
わっ、と拍手の音が会場に満ちる。我に返って顔を上げると、ちょうど劇団員の舞台挨拶が始まるところだった。
「面白かったかな?」
メトゥスの問いかけに、サフィラはこくりと頷く。そうか、と彼はサフィラの背中を何度か叩いた。
「これから劇団員たちも交えた宴なんだが、ぜひ来てくれ。俺の娘を会わせたいんだ、きっときみも気に入るだろう」
その目が、いやらしくたわむ。なるほど、とサフィラは頷いた。
どうやら、ここからが正念場らしい。
「はい」
手首のチャームを押さえて、「楽しみです」と微笑んでみせる。アウクシリアは静かにこちらを見据え、クラヴィスは冷え冷えとした瞳でメトゥスを見ていた。
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