3. 伝承復元

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3. 伝承復元

 ジョクラトル家を訪れると、当主の息子であるメルムが出迎えた。サフィラは、思わずひくりと頰を引きつらせる。彼はよく、サフィラを「からかって」くるのだ。  はっきり言って、苦手なのである。  それに構わず、長身を曲げて、メルムはねっとりとサフィラへ微笑んだ。 「やあ、俺のかわいいこうさぎちゃん」  背後で、リートレが「こうさぎちゃん?」と呟く。サフィラは内心大きなため息をつきつつ、「こんにちは。メルムさん」と微笑んだ。 「今日はお願いがありまして」 「何? デートのお誘い?」 「中庭を見せてください」  メルムは一瞬あっけに取られた後、渋い顔をする。 「中庭か。あそこは今、工事中なんだ」  サフィラの胸に、嫌な予感がよぎる。 「うちが屋敷を譲渡するとき、これだけは残してほしいとお伝えした石碑が中庭にあるでしょう。あれを見せてください」  ここまで言っても、メルムはピンと来ていないようだった。サフィラは唸る彼の返事を待つ。 「……ああ! あのやたらとでかい、白い岩か」  メルムはウンウンと頷き、「あれなら」と笑みを浮かべる。 「邪魔だったから壊したぞ。あそこは薔薇園にするんだ」 「は」  サフィラは足の力が抜けて、へたりと座り込んだ。 「こわ、した」 「ん? パパからは止められていたが、そちらの方がはるかに景観が美しくなる。あなたも元いた屋敷が美しくなるのは、嬉しいだろう?」  サフィラは顔を上げて、メルムを睨んだ。そして立ち上がり、胸倉を掴む。 「僕たちとの約束を、違えたのか……!」 「え? 何が?」  その瞬間、「メルム!」と低く太い声が場を貫く。  太鼓腹を抱えて走ってきたのは、ジョクラトル家当主のアルブスだ。ついでお付きのものも彼を追ってくる。  サフィラは彼を突き放し、拳を握った。 「この大馬鹿者! 執事から聞いたぞ! 私がしばらく留守にしていた間に、中庭の石碑を壊したそうだな!」  アルブスは血相を変えて怒鳴りつけるが、メルムはきょとんとした顔のままだ。 「だって、あれが邪魔で造園ができないんですもん」  アルブスはその返事も聞かず、サフィラの前で膝をついた。 「すまない。うちの馬鹿息子が、あなたがたの大切なものに、とんだことを……」  アルブスに視線も向けず、サフィラは屋敷を見つめる。 「……破片は、残っていますか」  メルムはまるでこたえたところのない様子で、「ああ」と呑気な声をあげた。 「パパのいない間にしようと思っていたから、壊したのはついさっきの話だ。あるんじゃないか?」  サフィラは弾かれたように駆け出す。屋敷の奥へと走り、柵をひょいと越えて中庭に入った。  そこは、見るも無惨な姿になっていた。  サフィラたち兄弟の誕生記念に父が植えた木は切り倒され、土はひっくり返され、母のお気に入りだった花壇は見る影もない。  そして代々守ってきた石碑のあったところには、こんもりとした土の山があるだけだった。  造園のために呼ばれた職人たちは怪訝な顔でサフィラを見たが、ついでアルブスたちがやってくる。 「おい、そこの君。あそこにあった石碑のかけらはどこにあるのかね」 「へえ。それなら、後で捨てようと思ってたんで、そちらに」  指さしたところには、ロープで作られた網でまとめられた白い石片の塊があった。それは何人かの人夫の手で持ち上げられ、海へ投げ捨てられようとしている。  サフィラは、大声で叫んだ。 「捨てるなーっ!」  驚いた彼らは振り返り、ぽろりといくつかのかけらが海へと落ちる。サフィラは半泣きで駆け寄った。 「それは絶対捨てないでください、大事なものなんです!」  そしてかけらに縋りつくサフィラの必死な姿に、メルムはようやくことの重大さに思い至ったようだ。 「そ、そんなつもりじゃ」  うろたえる彼に一瞥(いちべつ)もくれず、サフィラは地面におろされた石片をかき集めた。 「アルブスさん。庭の隅、借りてもいいですか」  サフィラは尋ねる。その瞳には涙の膜が張っていたが、なによりも強い意志が光っていた。 「僕は絶対、この内容を読み解きたい」  アルブスはゆっくり頷き、「きみたち」と職人たちに指示を出す。 「彼の作業のために、場所を作ってやれ。決して邪魔をするな」  そして、メルムを見てため息をつく。 「そこのバカ息子は、私の部屋に来なさい。どうやら、私とママが甘やかしすぎたようだ」 「パパ……」  サフィラはジョクラトル親子のやりとりを無視して、リートレとウェントスを見上げて言う。 「僕、ここで復元作業をしたいです。今日の発掘作業は休みたくて、その……許可はもらってくるつもりですけど……」  後半になるにつれて、まるで勢いがなくなる。ウェントスはサフィラの背中を叩き、「いいさ、気にすんな」と豪快に笑った。 「誰もそんなこと気にしやしない。だからまあ、心配するな。お前の好きなようにやれ」 「自分自身で直接許可を取るべきという判断に間違いはない。あと、水筒と弁当くらいは取りに行け」    リートレは素っ気ない様子で言う。サフィラはちいさく笑って、立ち上がった。彼らなりの慰めが、胸に沁みる。  サフィラは発掘責任者のマギステル博士に頭を下げ、一日の休暇をもらった。マギステルは渋い顔をしながらも、素っ気なく「行ってこい」とサフィラに言う。 「お前のような異端なんか、いてもいなくても変わらん。リートレとウェントスに甘やかされているようだが、むしろ邪魔がいなくなると思う連中も多いだろう」  サフィラは深く頭を下げて、島のてっぺんに向けて駆け出した。  どく、どく、と心臓が強く脈打つ。それがなぜなのか、サフィラは思考が騒がしくて分からない。  庭の片隅に場所を借りて、サフィラは復元作業を始めた。  それは丸一日かかる、大仕事だった。日が暮れた後もサフィラは魔法で明かりを灯し、黙々と作業を続ける。  すべての復元が終わった頃には、すっかり夜が更けていた。  一部欠けてはいるものの、その内容を読み解き、サフィラは薄笑いを浮かべる。 (こんなことって、あるのか)  くつくつと喉を鳴らして、地面にごろりと横たわる。    伝承いわく。  魔物が港に押し寄せ、豊漁になるとき、創世の蛇は現れる。  日は短くなり、夜は長い。海の満ち引きはなくなり、満潮となるだろう。そして月のない夜、蛇は蘇る。  その死肉は大地となるが、蛇は陸を襲うだろう。勇者には泳ぐ太陽の導きがあり、その土地を治める権利が与えられ、この石碑は大いなるテストゥードーを讃えん。  太陽は魂を導き、ともに海の底へと沈み、ともに陸へと昇る。  我らはウォルプタース。新たな土地を手に入れた、西方より来たる者。テストゥードーの寵児なり。  テストゥードーは我らと、西の揺籃より泳ぎでて、  そしてその次に続く文章は、欠けていた。  復元された石碑には、星空の下で人々を導く海亀の図が描かれている。星を見る限り、それはちょうど、今の季節の空のようだった。  サフィラは天頂を見上げた。下半分の月が、東の空に低く浮かぶ夜である。 「あは、は。はは」  こんな形で、自分の信じたものが本当かもしれないと、思うなんて。  サフィラは泥まみれの手で顔を多い、わななく唇に触れた。 (確かめなければ。魔物が押し寄せてきているのは本当だし、豊漁も本当。日が短いのもそうだけど、確かめなければ。研究所に行けば、資料があるはず)  サフィラの思考回路が軽快に回り始める。そして、ふらりと立ち上がった。 「……研究所へ。日の出と日の入りの時刻を見て、潮の満ち引きの記録を見なくては」  サフィラは立ち上がり、泥を払った。手首に揺れる海亀のチャームを押さえて、ぼんやり屋敷を見つめる。  かつてサフィラたち家族が暮らした家。今はもう、他人のものになってしまった。庭に残っていたウォルプタース家の面影は、もう見る影もない。  サフィラは、庭を出て駆け出した。やるべきことは、たくさんある。
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