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42. 権能の貸与
サフィラは言葉を失った。ウィータは、真っ赤な唇を歪める。
「マーレを、復活させろ。それができるのは、ウォルプタース家当主である、お前だけだ」
「待ってください。もうマーレ復活の儀式は、終わっているはずです」
戸惑うサフィラに、「そうだな」とウィータは同意する。
「だが、ひとつ、神々にとっての異常事態がある」
そう言って、ウィータはサフィラの胸元を指で突いた。サフィラが顔を上げると、「お前だ」と彼は静かに告げる。
「お前がテストゥードーを呼び出した」
息をのむサフィラに、彼は続ける。その黒い瞳が、強い光をたたえてサフィラを射貫いた。
「本来、贄の儀式は二つの魂によって成立するものだ」
ウィータは淡々と、言葉を連ねていく。
「お前たちがレガリア島と呼ぶ島で、まず一人目の生贄を捧げる。そこに本来、二人目の生贄を捧げるはずだったウォルプタース家当主自身――、お前が入り込んだ」
サフィラは、息をのんだ。ウィータは「大したものだ」と、無感動に言う。その口ぶりは乾ききっていた。
「お前がわざわざ自分自身を捧げた結果、テストゥードーの計画はいつもより順風満帆に進みはじめた。あるいは、狂いはじめた。そこに、俺がつけいる隙もある」
いいか、とウィータはようやく表情を動かした。歯を剥いて笑う。その獣のような表情に、サフィラは無意識に少し後ずさった。
「神は論理だ。順序立てて説明できなくなれば、それは神ではなくなる。そして儀式は、手順を守らなければいけない」
ウィータはじりじりと身体を前掲させ、サフィラの顔を覗き込んだ。サフィラはその黒々とした瞳から視線を逸らせず、生唾を飲みこむ。
「お前たちは不幸なことに、細かい手順をすっ飛ばして、最大の効果を得た。神官の血と肉を捧げられた今のテストゥードーの力は絶大だ」
だが、と彼は続けた。瞳に再び強い光が閃く。
「落とし穴もそこにある。生贄は二人でないといけないのに、奴はせこせことお前ひとりで満足しようとしている」
「それは、なぜですか」
サフィラが声を上げると、「簡単なことだ」とウィータはサフィラを指さす。
「お前たちウォルプタースは、かつてテストゥードーとマーレに仕えていた。そしてマーレ殺しに加担した。その因果な血ほど、テストゥードーと相性のいいものはあるまい」
つらつらとウィータが語る。サフィラは「つまり」とうつむき、唇に指を当てた。
「……僕の血は、あなたたちにとって、特別な意味があるということですか」
「まあ、概ねそうだ。だからこそ、俺もあいつも、お前を利用したい。マーレの裏切り者、テストゥードーの忠実なるしもべ」
ウィータはサフィラの言葉を認めた。そうだな、と黒髪を揺らして、ちらりと海の方へ視線を向ける。
「長々とした説明は、もう終いだ。これからはお前がすべきことを説明する」
サフィラに拒否権はないらしい。サフィラは黙ってウィータを睨み上げるも、それを気にする様子もない。
「まず俺が、お前へマーレの権能を貸す」
彼が言うことには、サフィラの血統が鍵なのだという。
「お前の先祖はマーレを祀り、寵愛されていた。その証拠が、その手首のものだ」
そう言って、ウィータは海亀のチャームを指さした。サフィラがそれに指先で触れると、「もっと大切に扱え」とウィータは顔を歪める。
「それはマーレの牙からできている。妙な形へ加工されてしまっているが、それの持ち主はマーレの権能を借りることができる」
「それはなぜですか」
「マーレの肉体の一部だからだ。肉体はこの世界において、巨大な意味の塊だ」
サフィラは目を閉じ、こめかみに指を当てた。つらつらと流暢に語られた、言葉の意味を咀嚼する。
「ええと。とにかくチャームはマーレの牙でできていて、これがいわば、権能の貸し出し証明書みたいに機能するってことですか」
「安っぽい例えだが、そうだ」
いちいち神経を逆なでするようなことを言う。サフィラは首をすくめ、「お褒めいただき光栄です」と口の端を上げた。ウィータはやはり気にした様子もなく、続ける。
「テストゥードーがお前に、海流操作と海中呼吸の権能を与えていたのも同じ原理だ。あいつの権能のような顔をして、まったく卑怯な奴だ」
吐き捨てながら、ウィータは指を二本立てる。
「さて、お前には選ぶ権利がある。海流操作と海中呼吸、どちらを借りたい。悪いが、俺に両方は無理だ」
「海流操作を」
サフィラの間髪入れない回答に、ウィータは目を瞬かせた。
「悩まなくていいのか。お前、ここから出るときに、生きて帰れるかも分からないんだぞ」
「生きて帰ったところで、クラヴィスの助けになれなかったら、何の意味もない」
サフィラの明るい海の色の瞳が、薄暗い中で獰猛に光る。ウィータは「ふうん」と鼻を鳴らした。
「まあ、いい。ではそのように」
ぱちん、とウィータが指を鳴らした。ふっと浮かぶような感覚の後、身体にかかる重力が戻る。
「これでいい。ここからが本題だ」
ウィータは改まった様子で、サフィラへと向き直った。サフィラは思わず
「お前はこれから地上へ戻り、マーレを蘇らせろ」
え、とサフィラは面食らった顔をする。
「それは、なぜ?」
「マーレが不完全な状態で蘇るのは、きちんと殺されていないからだ」
いいか、と念を押すようにウィータは続けた。その目は爛々と光り、憤りに燃えている。
「彼女を完全に殺せ。そうすれば、お前の助かる道も、きっとある」
助かる道。サフィラは、言葉をちいさく反芻した。
背後から水の噴き上がる音が聞こえ、サフィラは振り向く。大きなケートスが顔を出していた。それはぐるりと背中を向け、従順に首を垂れる。
「こいつに乗っていけ。呼吸は保証せんが、片道分の安全くらいは保障してやる」
サフィラは何度か、ケートスとウィータに視線を往復させた。身体をずらし、ウィータへ向かって膝をつき、恭しく跪く。
「魔物の長、死を司る神ウィータ。感謝いたします」
「なんだ。情緒不安定か?」
思い切り顔をしかめるウィータ。うーん、とサフィラは顔をあげた。「そうですねぇ」と、首を傾ける。だけどそれ以外に、サフィラは感謝を表す言葉や方法を知らない。
「これでは足りないほどの恩義を、あなたから受けました。無事に地上へ戻り、クラヴィスを助けたら、あなたへ祈りを捧げます」
ふん、とウィータは鼻で笑った。
「お前のような不心得者の祈りなどいらん。さっさと行け」
ケートスが尾を振る。サフィラはその大きな背にしがみつき、ウィータを振り返った。
ウィータは手を振っている。その瞳に理知の光を湛えて、彼は言った。
「気をつけろよ、ウォルプタースのすえ。……ここから先は、出たとこ勝負だ」
サフィラは振り返らず、ケートスへ必死にしがみついた。
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