43. いなくなったサフィラ(クラヴィス視点)

1/1
前へ
/50ページ
次へ

43. いなくなったサフィラ(クラヴィス視点)

 クラヴィスが次に目を開けたとき、彼はベッドに寝かされていた。白い天井が目に入る。 「サフィラ」  慌てて跳ね起きて、ベッドから降りる。サフィラ、サフィラ、と何度も彼を呼びながら、入院着の裾を乱暴にさばいた。ベッドがたくさん並べられている。どうやら、病院の中らしい。 「ミュートロギアさん、目が覚めましたか」 「まだ安静にしていてください」  医師や看護人たちが部屋に入ってきて、部屋から出ようと暴れるクラヴィスを抑え込む。サフィラは、とクラヴィスは悲痛な声をあげた。 「サフィラはどこだ。一緒に運ばれてきていないか。小柄な男で、赤毛で小麦色の肌の、瞳は淡い海の色で」 「今は彼のことを気にしないで、部屋へ戻ってください」  ああ、とクラヴィスの口から冷たい吐息が漏れる。  サフィラは病院へ運ばれていないらしい。つまりまだ、海の中にいるのかもしれない。 「助けにいかなければ」  クラヴィスが駆けだそうとするのを、病院の人々が総出で止める。止めないでくれ、とクラヴィスは獣のように叫んだ。 「何の騒ぎだ」  重たい足音が走ってきて、アウクシリアが現れる。暴れるクラヴィスを目の当たりにして、深いため息をついた。 「クラヴィス。落ち着け」 「いやだ。サフィラを助けにいかなければ」  恐慌状態のクラヴィスに「だから落ち着け」とアウクシリアが肩を強く掴む。 「お前が今焦ったところで、どうにもならねえ。今、騎士団が総出で探してる」 「俺も行く。俺も探す」 「溺れた奴を助けに行って、遭難者を増やしちゃ世話ねえよ」  アウクシリアはクラヴィスの肩を揺らし、たしなめるように強く背中を叩いた。クラヴィスはなおも、首を横に振る。 「助けにいかなければ。サフィラは今も苦しんでいるかもしれない。遠くへ行ってしまう」  亡霊のように歩き出そうとするクラヴィスを、アウクシリアは軽々と羽交い絞めにした。 「こりゃダメだな」  クラヴィスは、サフィラ、サフィラ、と何度も彼を呼ぶ。アウクシリアはぞのまま病室のベッドへとクラヴィスを引きずっていき、無理矢理座らせた。 「何があった。どうして、お前たちはジョクラトル島へと向かった」  のろのろと顔をあげて、クラヴィスはこれまでの経緯を話しだした。アウクシリアは時折顔をしかめたものの、黙って彼の話を聞いている。  クラヴィスが語り終えると、アウクシリアは深く頷いた。 「なるほどな。事情は、だいたい分かった」  アウクシリアは膝を叩き、立ち上がる。 「そういうことなら、なおさらだ。お前は一旦休め。その話がまるきり嘘とは思わんが、いずれにせよ、お前には休息が必要だ」 「いらない。俺に、考える時間を与えないでくれ」  クラヴィスの懇願を聞かず、アウクシリアは「聞き分けろ」と言い捨てて病室を去っていった。  クラヴィスはひとりベッドに座り込み、手で顔を覆う。 (俺が、今すぐ行こうなんて言わなければ。明日、昼間のうちに行けばよかったんだ)  次々と後悔の念が湧いてくる。クラヴィスは世界を拒絶するように、身体を丸めた。  窓の向こうでは穏やかな夜の海が、しずかに波の音を立てている。  その中にサフィラが囚われていると思うと、狂おしいほどの衝動が湧いた。今頃、苦しんでいるのだろうか。  そもそも、生きているのだろうか。 (俺のせいだ)  クラヴィスは身体を丸め、深く息を吐く。自責の念が胸を滅多打ちにして、心が痛い。最後に見た、サフィラのぐったりした姿と、抱きとめた身体のぐにゃりとした感触が今も残っていた。 (俺のせい、だ)  それでもわななく唇を噛み、頬を強く叩いた。沈んでいく思考を無理やりに浮き上がらせ、目を開ける。 (……だからって、俺が泣いてても始まらない。もう、ガキの頃とは違う)  再び顔を上げたとき、涙に濡れる瞳は強い光をたたえていた。拳を強く握りしめる。 「絶対に、助ける」  テストゥードーは、マーレを正気に戻せばサフィラを返すと言っていた。  ならばマーレを正気に戻す方法を、探るしかない。クラヴィスひとりでも、やってのけてみせる。 (まずは、押収された書籍の解読結果が知りたい)  クラヴィスの思考が回りはじめる。情報の歯車が噛み合い、ひとつの流れになっていく。 (唯一の手掛かりは書籍類の解読結果だ。俺は古代語が読めるわけじゃないから、そこを自力で解決するのは難しい)  それから。クラヴィスの脳裏に、ウィータから貸し与えられた鎧と剣が浮かんだ。 (ウィータに接触するなら、彼自身からの迎えが必要だ。俺からは接触できない。あれについて調べるのであれば……)  一瞬、テストゥードーに尋ねるという選択肢が浮かんだ。すぐに首を横に振って、その考えを掻き消す。 (あの野郎には頼りたくない。またとんでもない代償を要求されたら、たまったもんじゃない)  やはり、研究者たちに見せるのが一番いいのだろうか。 (……俺は、無力だ)  剣を振り回すしか能がない。知識や教養が必要な場面では、サフィラに頼りっぱなしだった。  そのクラヴィスを認めてくれたサフィラ本人は、今、行方不明だ。  それでも。クラヴィスは再び頬を、強く叩く。落ち込んでいる暇はない。  安静にしろと言われてはいるが、もう時間がないのだ。 (抜け出すか?)  クラヴィスが不届きなことを考えていたときだ。病室の扉がノックされる。 「誰だ」  クラヴィスの問いかけに応えず、扉が開く。そこに立っていたのは、赤毛の陰気そうな男だった。前髪で顔が隠れていて、いまいち印章がぼやける。 「はじめまして。俺はイーデム。解読班の雇われ研究員で、サフィラさんの知り合いです。ここ、ミュートロギアさんの部屋で合ってます?」  そう言って、彼は口元だけで笑った。さらりと前髪が揺れ、青い瞳がのぞく。サフィラの瞳とよく似た、浅い海の明るい色だった。  その手には大きな箱を抱えており、大きな剣と、艶やかな暗い青色の鎧がのぞいている。 「あなたの武器一式と、助言を、お届けにまいりました」
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加