45. クラヴィスの出陣(クラヴィス視点)

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45. クラヴィスの出陣(クラヴィス視点)

 数日後。クラヴィスは医師の診察を受けて、体調が回復したと診断されて退院した。  すべての手続きが終わる頃には、日が暮れていた。荷物をまとめ、寮へと戻る。  その落ち着いた態度に、アウクシリアやドミナはほっとした表情でクラヴィスを労わった。 「サフィラのことは心配すんな。あいつのことだ、どっかでひょっこり生きてるだろうさ。今、テストゥードー群島中に捜索をかけてる」 「ああ……」  アウクシリアの励ましには、曖昧な答えを返した。ドミナが、アウクシリアを肘でつついているのが見えた。安易に希望を持たせるな、ということなのだろう。  クラヴィスは部屋に戻り、ウィータから貸し与えられた鎧を着た。まるでクラヴィスのためにあつらえたかのように、驚くほど身体に馴染む。  鎧は軽く、海上でも身軽に動けそうだ。騎士団の装備より、よほど軽い。 (逆に軽すぎて、感覚がつかめないかもしれない)  準備運動のように膝を曲げ、身体を捻り、肩を回す。剣も長さに見合わない軽さで、片手でも振るえるだろう。  クラヴィスは剣を抜き、直立不動になる。両手で身体の中心に沿って構えた。  剣を額に当て、祈る。こんなときであっても、最後は祈ることしかできない。 (神々よ。俺とサフィラに、加護を)  でも、クラヴィスたちをこんな目に遭わせているのも神々だ。理不尽だ、とクラヴィスは思う。腹も立っている。  それと同時に、今更だとも思った。  あんなにいいことをしてきたサフィラは酷い目に遭っているし、悪行ばかりのメトゥスは今の今まで私腹を肥やしてきた。行いの良し悪しと、幸運に恵まれるかは別の話だ。  神を信じ、祈ったところで、確実な報いがあるわけではない。  それでも、人は神に祈る。神はことわりであり、人生をなんとかするのは、人間自身の仕事だから。 (神々よ。あんたたちは理不尽で、我儘で、自分勝手だ。でも)  クラヴィスは、深く息を吸い込んだ。 (俺には、あんたたちしか縋る先がない。どうか、道を切り開けるよう、加護を)  剣を納め、窓の外を見やる。太陽は、今にも沈もうとしていた。その光が憎たらしくて、クラヴィスは目を細める。 (今晩は、新月だ)  とうとう、この日がやってきたのだ。クラヴィスは鎧をまとい、窓の向こうを見つめた。水平線の向こうに太陽が刻一刻と沈んでいく。  そして、にわかに宿舎が騒がしくなった。廊下の向こうで、誰かが大声をあげている。その喧噪は、すぐに近くまでやってきた。 「西の海岸線へ急げ! 大量の魔物が押し寄せている!」 「魔物はかなり狂暴化している。近隣住民の避難を優先しろ!」 「帰宅した連中も呼び戻せ! 人手が全く足りていない!」  騎士たちが装備を身に着け、次々廊下を駆けていく。クラヴィスは腰へ、剣を()いた。  混乱のさ中にある騎士団の廊下を抜けていくより、建物を伝っていった方がはやい。  クラヴィスはためらいなく、窓を開け放った。日が暮れ、わずかに西の水平線へ、光の残滓が残るだけの空が出迎える。 「行くか」  軽く言って、窓の木枠へ手を駆けた。サッシを踏み越え、大きく跳躍する。  身体が重力に従って落ち、空中歩行で踵へ体重を預けた。そこを支点として大きく伸びあがるように跳び、駆けていく。  街は混乱の中にあり、それでも何人かがクラヴィスに気づいて声を上げた。宿舎からも、クラヴィスを呼び止める声がする。  それらをすべて置き去りにして、クラヴィスは走った。 (俺がマーレを倒せなかったら、この人たちも助からないのだろうか)  ぞわり、と背筋に何かが伝う。それはクラヴィスの鼓動を強く打ち鳴らし、踏み出す一歩を力強くした。 (マーレを殺す。テストゥードーも殺す。絶対に日常を取り戻して、サフィラと結婚する)  西の海岸線に近づくにつれ、混乱はいよいよ大きくなっていく。上陸したケートスを魔法で追い払おうとする魔法使いや、岸辺に押し寄せるクラーケンに対処する騎士たち。義勇兵としてやってきた冒険者たちもやってきて、なんとか一線は食い止められているようだった。  クラヴィスはためらいなく、海の向こうへと向かっていく。 「おい、待て! 単独行動は危険だ!」  忠告を無視して剣を抜き、襲い掛かる海の獣たちを切り伏せた。神の力を宿したそれは、魔物の血肉を簡単に引き裂き、絶大な威力を発揮する。  クラヴィスは、水平線に向かって吠えた。ケートスの太い首に刃を突き立て、クラーケンの足を弾き、シーサーペントの首を切り捨て、無数の魚の群れを掻い潜って進む。  そして沖合に出てしばらく、クラヴィスの足元が波打ち始める。次第に、その波が強く、高くなる。  水平線の向こうが盛り上がり、何かが頭をもたげた。 「蛇」  クラヴィスが、小さく呟く。それは海中から大きな頭をもたげ、太く、長い胴体を持っていた。島にとぐろを巻いて、土地ごとすべての命を絞め殺せそうなほど、大きな蛇だ。  背びれはあるが、手や腕はない。きっと脚もないのだろう。闇の中であっても、ぽっかりと浮かぶ黒々とした体表。身動きひとつ取るだけで大波が立ち、クラヴィスの行く手を阻む。  それでも、クラヴィスは止まらなかった。  波を越え、その胴体へと迫る。剣を振るうと、確かに刃は突き刺さった。  しかし、全く効いている様子がない。  剣で肉を裂こうとも、それは皮を切るだけで骨まで届きもしない。クラヴィスはそれでも懸命に、剣を振るった。  蛇の長い胴体がしなり、尾がクラヴィスをはたき落そうとする。紙一重でよけつつ、必死に切りかかった。 (こんなの、どうすればいいんだ……!)  体力にはまだ余裕がある。しかし、ずっとこの攻防を続けてはいられない。クラヴィスは剣を振るい、シーサーペントを見上げた。 (胴の太さだけで、人体の高さの二倍くらいあるな)  尾の追撃を振り払い、身体に飛び移る。背筋を駆けようとも、すぐにぐにゃりと身体が曲がって叶わなくなる。  さすがのクラヴィスも、息が上がってきた。 (俺が、ここで、倒す!)  必死に飛びかかり、刃を突き立てる。通りはするのだ。しかしそれは、蛇の命に肉薄などしない。  どうすればいい。ほんの一瞬思考が絡まり、クラヴィスの身体が止まった。それを正確に、のたうつ尾が捉える。咄嗟に腕で庇おうとも、クラヴィスの身体はぐんと宙へ持ち上がった。  空中歩行で受け身を取るが、真上から、叩き潰すように尾が振り下ろされた。 (終わりか)  クラヴィスの脳裏に、あざやかな絶望がよぎった。暗い夜空の星の光がいやに鮮明に見える。流れ星が、流れた気がした。  ふと、クラヴィスの上に、影が降りる。 「クラヴィス、何をやってるんだ!」  その瞬間、クラヴィスは大波に身体をさらわれた。疲弊した身体を、ちいさな身体が、水しぶきをかぶりながら抱きとめる。 「サフィ、ラ」  そこには、クラヴィスの幼馴染がいた。目は爛々と青く光り、クラヴィスを見据える。 「遅れた。ごめん」  それだけ言って、サフィラが杖を振るう。途端に大波が立ち、マーレの動きを遮った。 「クラヴィス。頭を狙って」  再会を惜しむ言葉も、無事を喜ぶ言葉も交わさない。サフィラが、暴れるマーレを指さす。頭は絶えず動き回り、とても乗り移れそうになかった。  それでもこの愛しい人は、息も絶え絶えのクラヴィスに、行けと言う。 「蛇の頭蓋骨は脆い。だから頭部は、致命的な急所だ」  クラヴィスがいつも頼もしいと思っている、あの青い瞳だ。骨ばった腕と手が凛として伸びて、クラヴィスを立ち上がらせる。 「行くよ。僕が死ぬ気で手助けするから、そっちも死ぬ気で頑張って」 「お前は、本当に、無茶を言う……!」  クラヴィスはふらりと立ち上がり、再び剣を構えた。  サフィラが、その背中に手を当てる。 「行って、クラヴィス。僕がついてる。……ちゃんと、マーレを殺してあげて」  クラヴィスは頷き、前へと踏み出す。その言葉が、戦いの火ぶたを切った。
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