5. 出航

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5. 出航

 果たしてサフィラの主張は、議会において全く受け入れられなかった。 「何をそんな荒唐無稽な話を」 「そんなバカなことを言うな。仮にも学問を究める者がそのような戯言を言うとは、嘆かわしい」 「お前に研究者を名乗る資格はない」 「不吉なことを喧伝するな」    肩を落として研究所に戻れば、話が伝わっているのか白い目で見られるばかりだ。唇を噛むサフィラの肩を、リートレとウェントスが強く叩く。 「ウォルプタース、いい加減にしろ。いくらなんでも、そんな荒唐無稽なデマを流すのはさすがに度を越している」 「リティの言う通りだ。今なら謝れば、まあなんとか許してもらえるだろ。俺たちも一緒に行ってやるから……」  彼らの言葉に、思わずサフィラは黙り込んだ。なあ、とウェントスが真剣な表情でサフィラの腕を掴む。 「俺たちは、サフィラが心配なんだ。若いのにいろんなこと一人で抱え込んで、危なっかしくて見てられない」 「私も同意見だ。……心配している」  彼らのあたたかい言葉に、サフィラは力なく笑った。  彼らの心遣いが何よりも嬉しい。そんな二人でもサフィラの主張を信じてくれない、さみしさ。  サフィラは、彼らに向き直った。はい、と頷いてみせれば、彼らはほっと息をつく。  さあ、と差し伸べられた手に、サフィラは背を向けた。 「ありがとうございます。僕、行きますね」  踵を返すサフィラの背中へ、口々にリートレとウェントスが声をかける。それに振り向きもせず、サフィラは研究所を飛び出した。  だってサフィラは海に漕ぎ出す口実が、できてしまった。 (もうアルスは一人でも大丈夫。きっとシーサーペントの伝承は本当。なら、僕自身の力で行くべきだ)  サフィラはなけなしの貯金を引き出し、その金を抱えて船着き場へと走った。きっとそこでなら船が買えるだろう、と当たりをつけたのだ。  船を買って、装備を買って、食料などの備蓄を買って。足りなければ、日雇いの仕事で稼げばいい。  そうひたむきに走る。船着場に着けば既に、私服のクラヴィスがいた。 「なんで?」  一瞬、理解が追い付かずに口を間抜けに開けた。クラヴィスは至極当たり前だと言わんばかりに手を振って、「こっちだ」と呼ぶ。ふらふらとそのまま近寄れば、「サフィラ」と彼は清々しい笑みを浮かべた。 「騎士団を、しばらく休むことにした」 「はい」 「本当は辞表を出そうかと思ったんだが、上司にとめられてな」 「は!?」  そして船着き場の小屋から、年齢不詳の美しい風貌の騎士が一人と、大男が一人出てきた。騎士は厳格な表情を少しだけほころばせ、「愛か」と呟いた。 「行け、ミュートロギア。それがお前の愛の道であるならば、俺はそれを全力で支えよう」 「俺の上司のノドゥス卿だ。こっちがその友人で、俺たちの水先案内人を買って出てくれたアウクシリア」  サフィラが反応する間を与えずクラヴィスがそう言うと、ずいと大男が踏み出した。その大きさにサフィラが思わず一歩引くと、「あんたがねぇ」と彼はまじまじとサフィラを見る。 「細っこいな。航海に耐えられるのか?」  サフィラはむっと目を細め、「できますよ」と答えた。 「これでも、発掘調査で肉体労働をしています。耐えられます」 「威勢がいいじゃねぇか。せいぜい、俺たちにおんぶにだっこされることだ。あと、さん付けはいらねぇぜ」  アウクシリアはサフィラの頭を豪快に撫でた。わ、と思わず身を屈めるサフィラに構わず、「ノドゥス」とアウクシリアが言う。 「俺ぁ、ちょっとこの坊主どもと旅に出てくる。面白そうだし、なによりお前に頼まれたことだしな。大人しく待っていてくれ」 「待つも何も。私はここで、人々の愛を応援するだけだ」  ふ……と微笑むノドゥス。そのノドゥスをうっとりした瞳で見るアウクシリアの笑みが、二人の目にばっちり映る。  サフィラははっと我に返って、「船を買おうと思ってここに来たんです」と金貨の詰まった袋を差し出した。 「足りますか」 「買えねえことはないが、そんなんじゃあ長旅に耐えられるようなのは無理だな」  アウクシリアはけんもほろろに突っぱねる。肩を落とすサフィラに、「そんなもん、そもそも必要ねぇのさ」と歯を見せて笑った。 「俺の船がある。それで行くんだ」  彼が指さす方を見ると、そこには船があった。  乗組員の寝泊りが前提である、大きめの漁船より少し大きい。何より目を引くのは、金属板で覆われたその下部だ。 「き、金属……!? しかもあの輝きは虹鉄(こうてつ)!? 西方大陸の最新技術じゃないですか!」  思わず声を上げるサフィラに、「そうだ」と得意げにアウクシリアが鼻を擦った。 「俺は冒険が好きでね。騎士団時代の給料を全部ぶっこんで、こいつを作ったのさ」  しかも手作りらしい。すごいすごいとサフィラが興奮していると、少し不機嫌になったクラヴィスがサフィラにもたれかかってくる。 「サフィラ。俺も行くんだぞ」  は、と、思い出したようにクラヴィスを振り返る。あまりのことで頭から吹っ飛んでしまっていた。  サフィラは彼の肩を掴み、思い切り揺さぶろうとする。サフィラの身体ががくがく揺れるだけだったが、それでも止められない。 「なんでそんなことしたんだ、辞表を出すなんて。ノドゥスさんがいろいろ気を遣ってくれたからいいものの……!」 「俺がしたかった。お前に何を言われようと、絶対についていく」  クラヴィスはそう言って、平然と船へと乗り込む。待ってよ、とサフィラが追いかけようとすると、「サフィラ」と声をかける者があった。  振り返ると、そこにはメルムの姿がある。彼はぜいぜいと息を切らせながら駆け寄って、「待ってくれ」とサフィラを呼び留めた。 「何か」  クラヴィスが警戒するように船を降りて睨みつけると、メルムは一瞬怯む素振りを見せる。  サフィラはクラヴィスを抑え、「何の用ですか」と低く尋ねた。 「い、いや、その。俺なりに考えたんだ」  何を。サフィラが尋ねるよりはやく、メルムが満面の笑みで言う。 「俺が金を払って、今出回ってるサフィラへの悪評を撤回させる。で、サフィラはお礼に俺と付き合うんだ。いい考えだろ? なっ!」  うん、とサフィラは頷いた。殴り掛かろうとするクラヴィスより先に、すっと前に出る。  ここまでくると、サフィラのなけなしの自制心も、失せた。 「ふざけるなァッ!」  気合一閃。サフィラの見事な平手打ちが、メルムの頬に直撃する。  倒れ込んだメルムに一瞥もくれず、サフィラは駆け寄ってきたクラヴィスの手を取った。 「行こう。はやく。とりあえず、ここから離れたい」  クラヴィスもまたメルムに一瞥もくれず、サフィラの額にキスをした。くすぐったそうに首をすくめる彼を抱きしめ、首元にも唇を落とす。ひ、と身体を強張らせつつも、拒まないサフィラ。  なお、その全てを、メルムは地に伏したまま眺めていた。  こうしてサフィラとクラヴィス、アウクシリアの乗った船は出航した。岸に残ったノドゥスが、メルムを無理やり立たせる。 「つまりお前は、二人の愛の障壁にすらならなかったということだな」 「そんな……」 「よくて香辛料だ。死後も海底で愛し合うだろう、恋人同士を引き裂こうなどと。この世で最も卑劣なことは二度と考えるなよ」  そう吐き捨てて、小屋の影へと視線を向ける。 「お前もまた、二人の愛を見届けに来たのだろう。よかったのか? 愛しの兄と別れを惜しまなくて」  不承不承で顔を出したのは、アルスだった。ふん、と鼻を鳴らす。 「いいんです。お別れは家で済ませてきましたから」 「出発直前まで、あれだけクラヴィスに『兄を頼む』と言っていたのにな。かわいいものだ」  ニコ……とノドゥスが笑みを浮かべる。ウワ……とアルスは肩をすくめた。 「いいんです。どうせあの二人の結びつきより、俺たちの血縁の方がずっと強いから」  フフ……と、なおもノドゥスは微笑む。なんだかもうやっていられなくなって、アルスは唸って拳を握りしめた。 「くそっ、くそっ! あんな男が何なんだよ。血が繋がってなかったら、俺が兄さんと結婚して、ずっと一緒にいられたのに!」  地団駄すら踏み始めたアルスを、やはりノドゥスはほのぼのと見守る。 「フフ……でも、兄……なのだな」 「そうだよ! 結婚したいけど、別にそういう目じゃ見てないんだよ! それにどうせ俺は兄さんについていかせてもらえないんだ、弟だから!」  心底幸せそうな顔をしながらノドゥスはアルスを連れ、ついでにメルムを引きずって海岸から去っていった。
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