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僕は今年で四十で彼女は二十三になろうとしている。しかしこう考えると残酷な時間の流れにうんざりしてしまう。僕はまだ四十で彼女はもう二十三になる。このくらいでちょうどいいのだ。
僕たちはちょっとした友達でそれ以上でもれ以下でもない。僕は地方の銀行に勤めていて、妻がいて二歳になる息子もいる。彼女には五人の彼氏がいて、アパレルメーカーとして働いている。結婚歴はなく、子供もいない。
月曜から金曜にかけて彼女は五人の彼氏と代わりばんこにデートをして、月に一回くらいの頻度で、土日のどちらか僕とデートをする。それ以外の土日は彼女がいつも家でごろんと寝転がっている。
自分より十七歳も下の女の子とデートをすることになるとは今考えてみても不可思議な事だと思う。十七年前と言えば僕が妻にプロポーズした年だ。そんな時に生まれた女の子とデートすることになろうなんて、まるで地球の裏側で煙草を吸っているみたいだ。
彼女の五人のボーイフレンドの素性は多種多様である。職業も違えば、年齢も違うし、一人は国籍も違う。しかし彼女はその五人をあくまでも平等に愛しているという。
彼女がどうして五人のボーイフレンドと交際しているのか、またどのようにしてその関係を維持しているのか。僕は彼女からその話を聞いたときにそう訊ねてみた。すると彼女は金色のイヤリングを触りながらそんなの簡単よ、と言った。
「その五人が私のことを好きだからよ。みんなそれぞれ同じくらい私の事を愛してくれてる。だからそれに私も応えてあげる。ただそれだけの話よ」
「キミに五人の彼氏がいることを彼らは知っているんだろうか?」
「もちろん知ってるわ」と彼女は言った。「私誰かに嘘ついたり、騙したりするのは嫌いなの。だから告白されたときに言ったわ。私には他にも彼氏がいるけれどそれでもいいのって」
「そうしたら彼らはなんて?」
「そんなのかまいやしないって言ったわ。誰がいつキミを抱こうが関係ないくらいキミのことが好きだって」
「これも流行りの多様性の時代ってやつなんだろうか」と僕は呟くように言った。「批判するつもりはもちろんないけれど、時代に取り残された中年の僕にはとても歪な形に思える」
「歪な形ってどんな風に?」
そうだなぁと僕は考えてから言った。「組み体操の順番が入れ替わっているみたいに」
「小さい人が大きい人を支えている……みたいな?」
「そのとおり」
彼女は、「はあ」と大きくため息をついてから言う。「今の学校じゃ組み体操なんてやらないのよ。危ないから。裸足でグラウンドを駆け回ったりしないの」
「そんなの運動会とは言えないね」
「そんなことを言ってるから時代に取り残されるのよ」と彼女は言った。「ねえ、一つ訊いてもいい?」
「いいよ」
「もし仮にあなたが二十三歳の時に彼女が五人いたらどうする?」
「おいおい。『仮に』なんてひどいな。僕が二十三の時本当にガールフレンドが五人いたかもしれないだろう」
「いたの?」
「いないね」と僕は言った。「僕はそんな器用じゃないんだ」
「ねえ、私は今真面目な話をしようとしてるの。もうちょっと真剣に聞いてよ」
「でもどうするもなにも僕にはガールフレンドが五人もいる生活なんて想像できないんだよ。家族とのスケジュールを組むのにも頭を悩ませてるのにさ」
「それでも考えてみてほしいのよ」
僕は彼女の一対の瞳を覗き込みながら言った。「キミが自分で考えて結論を出すしかないと思うけどね。キミだってこの生活がずっと続くと思っているわけじゃないだろう?」
「そうね」と彼女は短く言った。
「ならどこかで決めなきゃいけないんじゃないかな。キミのためにも、彼らの為にも」
彼女から電話がかかってきたのは次の水曜日の夜だった。土日以外に彼女から連絡があるのは極めて珍しいことだったので僕は最初彼女が間違えて僕に電話をかけてしまったのだと思った。しかし彼女は、急に電話をしてしまって申し訳ない、と珍しく素直に僕に謝りながら言った。
「どうしても話したいことがあっての。今からいつもの場所に来られない?」
「今はちょっと厳しいな。これから仕事の用事があるんだ」と僕は言った。
じゃあこのままでいいわ、と彼女は言い一呼吸置いた。
「昨日ね、五人の彼氏を集めて一つの家に集めて、この中から私の結婚する人を一人決めてほしいってお願いしてみたの」
僕は左手で持っていたスマートフォンを右手に持ち替えた。彼女が今言った事を僕はとりあえず理解しなければならない。オーケー。話を進めよう。
「それで彼らはどうしたの? まさかナイフやら鈍器を各自取り出して殺し合いでも始めたとか?」
「まさか。ちゃんと話し合いで解決してもらうようにお願いしたわ」
僕は五人の彼氏たちが一つのテーブルを囲んで誰が彼女のフィアンセになるのか話し合いをしている様子を思い浮かべた。なんだかそれは遠い宇宙の裏側で起こっている出来事のように思えた。
「それでその話し合いは一体どうなったんだろうか?」と僕は訊いた。
「どうなったと思う?」
「検討もつかないね」
「数時間経ったら一人の男が部屋に来たの。彼は銀行で働いている人でね。一番年長者なの。ああ、私の夫になるのはこの人なんだなって思ってたら彼はこう言ったわ。『五人で話し合ったんだけど、僕たちは誰もキミの夫にはならないという結論になった』ってね」
「それは予想外の結末だ」と僕は驚いて言った。「理由はなんだったの?」
「彼らの言い分はこれだけらしいわ。誰か一人のものになるくらいだったら、いっそのこと全員で手放してしまったほうがいい」と彼女は壁に書かれた文字を読むように言った。「それで結局彼らはそのまま私のところからいなくなっちゃった。一人残らず全員ね」
その電話から何日か後の土曜に僕らは一度だけ顔を合わせて会話をしたが、それ以降僕らはぱったりと会わなくなってしまった。彼女の方から連絡が来ることはなかったし、僕からも連絡をすることはなかった。僕たちはちょっとした友達で、それ以上でもそれ以下でもないのだ。そういう関係性が終わる時はこういう霧の中に消えていくみたいな終わり方をするものだ。多分。
その数年後、僕は新宿の駅前で彼女の偶然すれ違った。僕はその時一人で歩いていたが、彼女の隣には身長高いいかにも風采の良さそうな男が歩いていた。彼のその歩き方はまるで自分以外の何物も突き放すような鋭利な歩き方だった。そしてその隣を歩く彼女は僕のと出会った時とは随分違う歩き方をするようになっていた。具体的にうまく説明することはできないけれど、僕はその歩き方を見て胸がすくような寂しさを覚えた。そして彼女は僕の姿に気づく様子もなく、そのまま新宿の街に消えていった。
僕はそこでふと、彼女が当時付き合っていた会ったことすらない五人の男達について考えていた。あの時、彼女に集められた五人の男達はその場でなにを語ったのだろう。そしてあの時何も選ばなかった彼女は今どんな人生を歩んでいるのだろう。
最早答えの得ることのできない問題を抱えた僕は彼女とは反対方向の人混みへと消えていった。
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