貸本屋ペルの魔法の書 ―愛は慎みの中に―

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「おや、お客様。それをどちらで?」 「風の噂でな。それで、どうなのだ。あるのか、ないのか」 「ええ、ありますとも。正確に言うと、これからできます」  店主は立ち上がり、本棚ではなく机の引き出しから一冊の本を取り出した。  それをベルクに向かってスッと差し出す。  斑がかった褐色の表紙には、装画も題字もない。  表面を撫でると、ざらっとした質感。動物の皮を(なめ)して作られた羊皮紙だ。   それを数枚折り重ね、板で補強した昔ながらの冊子らしい。  中をめくると、白紙の頁が続いていた。 「何だ、何も書かれていないではないか」 「ええ。おっしゃる通りです」  店主は事も無げに相槌を打った。   「ふざけるな。こんなもの、本と言えるのか」 「これから本になるのです。これには、私が魔法をかけてありますので」 「魔法だと?」  ベルクは思わず声を荒らげた。 「三日月の晩に、心を鎮め、誰にも知られぬよう表紙に手をかざしてください。貴男がこう在りたいと望む姿を思い浮かべながら。そうしますと、この本は貴男の求める運命の一冊へと変化します」  ベルクは眉根を顰め、不信感を露にしながら店主を見遣った。  見た目から発言まで、何もかもが胡散臭い。  だが、店主はベルクの心情を読んだかのように、さらに目を細めて微笑した。 「もしご満足いただけなければ、お代は結構です。何も変化しない方も多くいらっしゃいます。変化が起こるのは、この本を心から必要とされる方のみです」 「変わらない者は性格を変える必要などないということか」 「その通りです。本当に必要かどうかは、この本が判断してくれます」  半信半疑ながらも、ベルクは店主からその白紙の本を受け取った。  代金はいらないというのだ。試すだけ無料(タダ)だ。  もとより、過大な期待はしていない。  せいぜいよくある自己啓発本の類だろう。そんな程度にしか考えていなかった。  もし眉唾なら、苦情をつけて悪評を流してやればいいだけのこと。   「貴男の運命に幸あらんことを」  店主のそんな言葉に見送られ、ベルクは貸本屋を後にした。
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