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手始めに、炎上しましょうか。そう言われた時、美音は「は?」と無意識に言っていた。
目の前で朗らかな表情を浮かべるこの男は、リラックスしたように背もたれに体重を預けている。聞き間違いだろうか。今この男は「炎上」と言った気がする。炎上と言ったら大量のバッシングをされることだ。芸能人なら絶対になりたくない状態。それをどうして進んでやらなければいけないのだろうか。
それとも実はエンジョウの変換が間違っていて、自分が知らないエンジョウという別の言葉があるのかもしれない。うん、きっとそうだ。自分の語彙力が乏しかったのだ。それ以外ありえない。
「エンジョウとは?」
「SNSで炎上する、といった意味の炎上です」
古谷さんがさも当然といった口調で言った。どうやら聞き間違いじゃなかったようだ。美音はもう一度「は?」と言った。仕事相手に対しての態度は悪いかもしれないが、それ以外の言葉が出てこないのだ。
新しく美音のマネージャーになった古谷さんは、女にいつか刺されて死にそうな爽やかな顔立ちをしている。おまけに仕事もできるそうで、これまで担当してきた役者たちはどれも美音が尊敬してやまない有名俳優ばかりだった。そんな彼がどうして美音のような無名の役者のマネージャーになったのだろう。事務所が美音を売れると判断してくれたのだろうか。何も目ぼしい功績なんてないのに。
10年──この事務所に在籍した期間だ。芸歴10年、現在20歳。そこそこの芸歴の長さだとは思うが、美音は決して役者一本では食べていけるほど稼げてはいない。むしろアルバイトでの収入の方が、それを遥かに上回る。
10年前、テレビで見た同い年の子役に憧れてこの業界に飛び込んだ。しかし事は上手く運ばなかった。だから大学を卒業したら引退して就職しようと思っていた。そんな矢先のマネージャーの変更、そして変更後のマネージャーが敏腕だった。
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