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名前すら知らない頭のおかしなおじさんはあろうことか私の恋人を追い出し、何故か少し誇らしげな表情でまた私を見下ろしていた。
「あの…出てってもらえます?」
流石の私でも彼氏(だと思ってた)にあんなこと言われて傷ついていない訳じゃ無い。1人悲しくもう一度晩酌でもして忘れようと思っていた。でもこのおじさんがいる。できない。
「君の望みをまだ聞いていない。」
「だからあなたがこの部屋から出ていくことですよ。」
「そんなことは聞いていない。私は君を助けにきたのだ。何かして欲しいことはないか。」
「聞いてないって私の今の1番の願いなんですが。」
「君が望むなら、あの男に今から不幸を見舞うことだって出来る。」
「……あの男って、今出てった彼?」
「そうだ。」
「何する気ですか。今から追いかけてもどうせ捕まりませんよ。」
「追いかける必要はない。彼が今どこにいるかなんて容易にわかる。」
まるで本当に超能力でも使えちゃいそうな言い方だ。ただの電波くんなんだろうけど。
「残念ながら報復なんて求めてません。不幸せになれ!とは思ってますけど、もうどうでもいいんです。」
「だったら他に何をして欲しいんだね。」
「何も。とにかく私は今から泣くので家から出て行ってください。」
「泣くほど悲しんでいるのに彼に復讐したいとは思わないのか。」
「思いませんよ。私はキレるとその人のことどーでもよくなるタチなんです。無視したくなるタイプ。」
「覚えておこう。」
「覚える必要ないし、さっさと出てってくれません?いい加減キレますよ私」
「だとすると君は私を無視し出すのかね。」
「ああうっざいな。そういうことじゃなくて、ウチにいられたら無視するも何もないでしょ!お風呂にも入れないし安心して眠りもできないでしょ!」
「安心して眠っていい。私は天使だ。君たち人間を守るガーディアンなのだ。」
「うるせーなこの電波ジジイ。大体天使ってこんな30代そこそこのおじさんじゃなくない?もっとこう少年みたいなさ、頭に天使の輪っかのっけて背中に真っ白な羽をつけた美少年がハープとか持って現れるんじゃないの?そんなに天使になりたいならもっと頑張れよ。まずはその髭を剃って髪型もきちんとしてシャツもそんなシミのついたシャツじゃなくてさぁ…」
「人間の天使の概念はそんな風になっているのか。天使の輪っかは無いが、羽ならここに…」
突然コートを脱ぎ始めたおじさん。
「え、ちょっと何してます?」
慌てる私を無視して“天使おじ“は床に緑のモッズコートを落として、シワシワの白シャツに手をかけた。
「ちょちょっ!何!?やめてストップ!」
思わずベッドの上に立っておじさんの手を無理やり止めた。不思議そうにこちらを見るおじさん。
「何しようとしてました?警察呼びますよ本当に」
「私はただ羽を見せようと思って。」
「はぁ…?」
何故止めるんだと怪訝そうにコチラを見てくる。いやおかしいよこの人。
「もういいよ……。私は疲れているんです帰ってください。」
そう誘導するように玄関を指さした。おじさんは私のその指を見ている。いやこっちじゃなくてあっち!あの玄関に向かってくださいって言ってるの!そう言葉にする前にふと思う。そういえば玄関、鍵閉めてたよね。
「……え、おじさんどうやって入ってきたの。」
「玄関から入ってきた。」
「ドアは鍵をかけてました。」
「鍵はかかっていた。面倒だったから壊して入ってきた。」
「壊っ、」
私はすぐさま玄関に向かった。ドアノブに触れると、いとも簡単に持ち手が外れてポロンと真下に落ちてしまった。
「な、なんてことしてくれたんですか!」
廊下をゆっくり歩いてきていたおじさんは、私の叫びにまた驚いた顔をした。
「なんてことと言われても、君がセックスをする前に早く入って事実を伝えなければならないと思ったからで」
「そ、それはそうだとしても壊すことないでしょ!?」
「すまない。そんなにもそのドアノブが大切だとは思わず」
「いや……大切とかそういうことではなく。」
まじで話が伝わらんこのおじさん。
「まぁこんなものはすぐに元に戻せるから大丈夫かと思ってね。」
そう言っておじさんは下に落ちていたドアノブを持ち上げた。
「元に戻すって修理頼むのにもお金かかるし、何よりそれを待つ間開きっぱなしのセキュリティガバガバ部屋で過ごさなきゃいけないんですよ!」
「待つ必要はない。待つとしてもほんの数秒だ。」
「…は?」
ドアノブを元あった場所に持っていくおじさん。空いた方の手をそのノブの上にかざすと、一瞬カチカチカチと金属音が聞こえて、おじさんの手からドアノブが消えた。
「…え?」
「これでいいかい」
ドアノブは元の位置に戻っていた。そう、玄関扉の定位置にしっかりとついていた。咄嗟にそれを掴んでぐるりと回す。しっかり固定されている。元に戻っている。寧ろこれまでよりスムーズにノブは回った。
「え?え?マジック?マジシャンなのおじさん」
「マジシャンではない、天使だ。」
「分かった。天使ね。うん、もういいや天使で。」
目の前で起きたことがいまだに理解できず、私は頭を抱えながらリビングに戻った。
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