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第3話 表裏一体の末裔たち(7)
『ライシェンのことを、ご存知だったのですね』
天空の間に、気品あふれる雅やかなカイウォルの声が響いた。
純白の世界に生じた、奈落のような黒い瞳が威圧を放ち、強引なまでの重力でもって、この場のすべてを呑み込もうとする。
エルファンは、目をそらすことができなかった。
それは、先に視線を外したほうが負けであるという、野生の獣めいた感情からくるものなのか。それとも、人を惹きつけ、世界を回すと謳われた、カイウォルの力に捕らわれたためなのか……。
――カイウォルは、鎌を掛けているだけだ。
奸計の貴人の顔を双眸に映したまま、エルファンは脳裏に、ある情報を浮かべる。
『摂政カイウォルは、鷹刀一族について、まったく把握できていません。どんな情報を持っているのかも、私と接触があったことすらも知りません』
そう伝えてきたのは、〈蝿〉だ。カイウォルに関する情報は、これから重要になるであろうからと、ルイフォンに託した記憶媒体に、こと細かに遺してくれたのだ。
思考を研ぎ澄ませれば、徐々にカイウォルの意図が読めてくる。
――エルファンの動揺を誘い、失言を狙っているのだ。
確かに、カイウォルは、ライシェンという国家の機密事項を提示してきた。
しかし、オリジナルのライシェンを指すとも、クローンの『ライシェン』を指すともいえぬ、曖昧な言い方をした。エルファンを言葉巧みに操り、クローンの『ライシェン』を知っているという言質を取ろうとしているのだろう。鷹刀一族は、この件に深く関わっているのだと。
では、どう切り返すべきか――?
『鷹刀セレイエは、〈神の御子〉の男子を産みました』
『子供を奪われると思ったのでしょうね』
耳の中に余韻の残る、カイウォルの蠱惑の旋律。
『デヴァイン・シンフォニア計画』の根幹は、子供から始まる。
『あなたの娘のことなので、お話しいたしました』
――……ああ、そうか。
エルファンは、ふっと蠱惑の呪縛が解けたのを感じた。
口の端を上げ、冷ややかに嗤う。
「私が驚いているように見えない? それは、お前が痴れ者だからだ。私は、自分の立場をよく弁えているがゆえ、常から感情を表に出さぬ」
魅惑の低音が怒気をはらみ、天空の間に轟いた。
しかし、カイウォルが動じることはなかった。それどころか、美麗な顔を不快げに歪めた。
もとより、エルファンのぞんざいな口調には眉をひそめていたのだが、低俗な凶賊だからと大目に見ていたらしい。それが、いきなり高圧的に暴言を吐いた上に、『お前』呼ばわりされたことで堪忍袋の緒が切れたようだ。
「おのれ……」
カイウォルは、わなわなと唇を震わせた。けれど、エルファンは、どすの利いた声で畳み掛ける。
「感情を出してよいというのなら、遠慮をする必要はないな」
そう告げるや否や、エルファンは、すっとソファーから立ち上がった。
刹那、漆黒の風が疾り、向かいに座るカイウォルの襟首を神速で掴み上げる。
「私の娘に手を出しやがって、この獣めが!」
「!?」
カイウォルの両足が、完全に宙に浮いた。上着の裾の金刺繍が、戸惑うように揺らめく。
首元の一点に、カイウォルの全体重が掛かった。澄ました美貌が驚愕に染まる。それでも悲鳴を上げなかったのは、さすが見栄の塊といったところか。
エルファンは、悪鬼の形相でカイウォルを睨みつけた。自分の目線よりも高く吊し上げた相手の顔を見上げると、憎悪が膨れ上がったかのように、黒髪がぞわりと舞い広がる。
――が、これは演技だ。
激昂しているように見せかけているが、エルファンは極めて冷静である。本気で掛かるつもりならば、相手の服の襟ではなく、直接、首を締め上げている。
カイウォルは、経験したことのない屈辱に動転しているであろう。しかし、実のところ、たいして苦しくはないはずだ。本来なら、このまま顔面か腹に一撃、食らわせたいところであるが、あとあと面倒臭いので、傷が残るようなことはしない。
そして、親切にも、エルファンは、カイウォルの混乱を解消してやるのだ。
「セレイエが〈神の御子〉を産んだだと? だったら、その父親は、お前しかいないだろう!」
これが、エルファンが暴挙に出た大義名分である。
勿論、ライシェンの父親がカイウォルではないことをエルファンは知っている。
だが、現在、王宮や神殿に出入りできる王族の男は、カイウォルのみだ。現女王が即位し、カイウォルが摂政となったときに、政治に口を出せるような王族をカイウォルが遠ざけたためだ。
故に、『つい最近』、セレイエが〈神の御子〉を産み、姿を消したように語られたならば、この反応を返すのが正しいのである。カイウォルを責め立てる表情を変えぬまま、エルファンは内心でほくそ笑む。
どうやらカイウォルも、この大義名分の正しさに気づいたようだ。高慢な王族が顔色を変える様は、見ていて胸がすく。
…………この感情は、演技でもないか。
どす黒い快感を抱きながら、エルファンは思う。
如何にも王族然としたカイウォルは、いわば『王家』というものの象徴だ。長年、血族を〈贄〉として苦しめてきた仇の末裔である。
そして、セレイエも、『王家』に関わったがために、命を落とした……。
家を出て独立した娘など、どこで何をしようが勝手だ。誰の子供を産もうと、そんなことは本人の自由だろう。一生、実家に戻らず、顔を合わせることがなくとも構わない。
ただ、幸せであれば。
それで、よかった。
カイウォルの襟を掴むエルファンの手に、無意識に力が籠もる。
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