第1話 颶風の到来(4)

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第1話 颶風の到来(4)

「え!?」  寝耳に水だった。 「家宅捜索の際に、『死んだはずの貴族(シャトーア)令嬢』の姿が見つかると厄介だからな。鷹刀としても、痛くもない腹を探られたくはない」 「――!」  イーレオの言うことは正論だった。  そして、一族ではないルイフォンたちは、あくまでも『好意で、この屋敷に住まわせてもらっている』だけだ。(あるじ)であるイーレオが『出ていけ』と言ったら逆らうことはできない。  メイシアとふたりで、〈ケル〉の家に移動するか。――そう考えたとき、まるでルイフォンの思考を読んでいたかのように、イーレオが告げる。 「草薙家に行け。話は付けてある」 「なっ……? レイウェンの家?」  もと一族であるリュイセンの兄レイウェンは、服飾会社に加え、警備会社も経営している。彼の草薙家であれば、万一のときの守りは固いだろう。  イーレオは、気づいていたのだ。このところ、ルイフォンが柄にもなく鍛錬に精を出しているのは、メイシアが生きていることを知っている摂政が、彼女に害を()すのではないかと恐れているためだと。だから、安心して身を寄せることのできる場所を手配してくれたのだ。 「親父……」  小さく呟いたまま声を失うと、イーレオが「そんな顔をするな」と苦笑した。 「この屋敷にいる人間全員が、拘束されたとしてもおかしくない状況になるからな。お前たちに限らず、正式な一族ではない者には暇を出すつもりだ」 「……っ」  ルイフォンは唇を噛んだ。  まだ、具体的に何が起きたというわけではない。単にイーレオが、用心深くあろうとしているだけ、ということも分かっている。それでも、天下の鷹刀一族が、かつてないほどに追い込まれているような気がして、やり場のない苛立ちが募る。 「ルイフォン」  不意に、名を呼ばれた。  無意識のうちにうつむいていた顔を上げると、泰然と構えた頬杖の上からの視線とぶつかる。深い海の色をたたえたイーレオの双眸は、無限の慈愛に満ちていた。  ――守る者の目だ。  ルイフォンは指先を伸ばし、隣に座るメイシアの手をぎゅっと握った。彼女が狼狽の息を漏らすのも構わず、好戦的な猫の目でイーレオを見返す。  ――分かった。俺はメイシアを守る。だから、親父は一族を守ってくれ。  ルイフォンは気持ちを切り替えると、事務的な口調で問う。 「鷹刀の総帥。〈(フェレース)〉および、そのパートナーは、可及的速やかに、この屋敷を発つことにするが、『ライシェン』はどうする? 草薙家は、それなりに人の出入りがあるから、俺たちと一緒に連れて行くのは望ましくないだろう。かといって、近衛隊が家宅捜索に来るこの屋敷にも置いておけないし、無人の家だが〈ケル〉に預けるべきか?」  摂政は『拉致された、国宝級の科学者』を探していることになっているが、真に行方を追っているのは、消息不明のセレイエと、連れ去られた『ライシェン』だ。『ライシェン』を見つけられるわけにはいかない。 「ああ。『ライシェン』については、お前と相談しようと思っていたところだ。今ならまだ、この屋敷から運び出しても大丈夫だと思うが……」  イーレオがそう言ったときだった。 〔それは、ちょっと不用心じゃなぁい?〕  執務室の天井のスピーカーから、かすかな雑音と共に、高飛車な女の嘲笑が響いた。 「〈ベロ〉!?」  (つや)めく美声でありながらも、何故か耳をつんざく騒音にしか聞こえない声は、聞き間違えようもない。人の世には関わらないと言っていたはずの〈ベロ〉の乱入に、ルイフォンは驚愕する。 〔既に鷹刀が目を付けられているのなら、手入れの直前に、『ライシェン』を無人の家に運び出すなんて、愚の骨頂よ。『ここに怪しいものを隠しましたよ』って暴露しているようなものでしょう?〕 「だが……」  イーレオにしては珍しく、語尾が弱気に細った。それは反論されたからではなく、相手が〈ベロ〉――イーレオを育てた(パイシュエ)をもとに作られた有機コンピュータだからだろう。 〔このまま、私が預かってあげるわよ〕  まさかの申し出だった。 「本当か!?」  ルイフォンは思わず立ち上がり、スピーカーに向かって叫んだ。屋敷の地下にいる〈ベロ〉には、隠しカメラと隠しマイクに語りかけるべきなのだが、とっさの動作なので間違えるのは仕方ない。 「けど、この屋敷には近衛隊が来る。隠し通せるのか?」  自分から申し出たからには、自信があるのだろう。そう思いつつ、確認のためにルイフォンは尋ねる。 〔大丈夫よ。いざとなったら、私が手を下すこともできるけど、そもそも、私のいる小部屋は、完全に存在を隠せるような構造になっているのよ?〕 「……え?」 〔キリファが、ダミーの壁を用意しておいたの。知らなかったでしょう?〕  高圧的な物言いのあとに哄笑が続き、ルイフォンは顔をしかめながら耳をふさぐ。  ともかく、どうやら〈ベロ〉に任せるのが得策のようだ。 『いざとなったら』、〈ベロ〉が何をやらかすつもりなのかは気になるが、きっと訊かないほうがよいのだろう。それに、彼女が素直に答えてくれるとも思えない。 「〈ベロ〉、ありがとう。――『ライシェン』を頼んだ!」 〔何を言っているのよ。現状と何も変わらないわ。ただ、お前が小部屋を隠すだけ〕  ほら、私は人の世には関わってないでしょ? と〈ベロ〉が笑う。 「方針が決まったな」  よく通るイーレオの低音が響き、皆の顔が引き締まった。  そして、会議はお開きとなった。
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