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第2話 暗雲を解かした綾のような(4)
「交渉?」
思いもかけないレイウェンの発言に、ルイフォンは、おうむ返しに語尾を上げた。
「祖父上たちは、摂政殿下に対して『鷹刀に手を出すな』と釘を刺すつもりなんだよ。そうしておかないと、何も知らない鷹刀の末端の者たちに、どんな危害が加えられるかも分からないからね」
「あ……」
「聴取にあたるのが近衛隊でも、状況から考えて、摂政殿下は必ず顔を出すだろう。――凶賊が王族と直接、相まみえることができるなんて、普通では考えられない。だから祖父上たちは、この事情聴取を、『出頭を要請されたから行く』という受け身の姿勢ではなくて、こちらから仕掛けることのできる、『またとない好機』と捉えたんだよ」
「そう……か」
レイウェンの言葉が、すとんと胸に落ちる。
会議のとき、イーレオは『先に叩いておく必要があるのさ』と笑った。まさに、『こちらから仕掛ける』という意思表示ではないか。
「でも、どうやって……、何を交渉の材料にする?」
ルイフォンは身を乗り出した。戸惑いながらも、畳み掛ける。
「こっちの最大の切り札は、どう考えても『ライシェン』だろ? けど、もし『ライシェン』を駆け引きに使うのなら、事前に俺とメイシアに話を通したはずだ」
「『ライシェン』は違うだろう。彼は、最後の切り札だからね」
「じゃあ、何を?」
いつの間にか、問い詰めるような口調になっていた。無意識のうちに、猫の目を尖らせていたルイフォンに、レイウェンは困ったように笑う。
「ルイフォン。私は、鷹刀とは縁を切った者だ。鷹刀が今、どんな手札を持っているのかを知ることはできないんだよ」
「あ……、すまない」
即座に謝り、ルイフォンは癖の強い前髪をがしがしと掻き上げた。そんな仕草にレイウェンは口元をほころばせ、しかし、すぐに眉間に皺を寄せる。
「祖父上たちの態度から推測するに、今回、使おうとしている手札は、たいして強い札じゃない。賭けのようなものだと思うよ。――おそらく、発案者は、危険に直面することになる父上だ。父上は、意外に無鉄砲だからね」
「……っ」
ルイフォンは息を呑んだ。
昨日、仕事部屋を訪れたエルファンは、様子がおかしかった。
あのとき、どうして呼び止めなかったのか。『個人的な用事』とやらを、ちゃんと聞いておくべきではなかったのか。そんな思いが胸中を渦巻く。
押し黙ったルイフォンに、レイウェンは淡々と続けた。
「単に『事情聴取に応じる』とだけ言って詳細を伏せたのも、こちらから仕掛ける『攻勢』だとリュイセンが知れば、『次期総帥である自分が行くべきだ』と言い出すからだろうね」
「……」
「リュイセンは生真面目だから、交渉は自分には不向きだと分かっていても、それが作戦ならばやろうとする。そうなったら、さすがに次期総帥の顔を立てないわけにもいかないからね。祖父上たちは面倒なことになると思ったんだろう」
確かにそうだ。
兄貴分のことを思い浮かべ、ルイフォンは眉を曇らせる。
「レイウェン、あのさ……。昨日、リュイセンが……」
「リュイセンが――どうしたんだい?」
「夜、話をしたんだ」
しばしの別れの前に盃を傾けようと、兄貴分に誘われて彼の部屋に行った。
「あいつは落ち込んでいて、『父上は、この事態を見越して、俺に次期総帥の位を譲ったんだ』って言っていた。……正直、俺も否定できなかった」
エルファンが次期総帥の肩書きを持ったまま摂政に捕まるようなことがあれば、ことが大きくなる。だから、国を相手に全面戦争にならないよう、あらかじめ身を軽くしておいたのではないか――というわけだ。
「そうだね。先見の明のある父上のことだから、来たるべき摂政殿下との対立のために、位を退いておいたのは確かだろう」
「――っ」
ルイフォンの肩が、びくりと震えた。
その次の瞬間、レイウェンが「――でもね」と、とっておきの秘密を打ち明けるような、いたずらな子供の顔になる。
「父上に総帥になる意思がないのは、私が後継者だったときから感じていたよ」
「え?」
「だから、このタイミングでリュイセンに位を譲ったのは、あらゆる意味で都合がよかったからだ。だって、なんの手柄もなしに、リュイセンを抜擢することはできないだろう?」
「あ……!」
言われてみれば、その通りだ。
「我が弟ながら、リュイセンは凄いと思うよ」
レイウェンは目を細め、それまでの調子とは打って変わった甘やかな低音で告げる。
「私の知る限り、鷹刀に刃を向けた相手に対し、『血族として裁く』なんて言い出せる者は、リュイセンをおいて他にいない。リュイセンは〈蝿〉を尊重し、〈蝿〉を認めることによって、〈蝿〉を挫いた」
「ああ……」
「君でも私でも、あるいは祖父上や父上だって、〈蝿〉に対しては、もっと確実で効率の良い裁きを選んだはずだ。――あの状況で高潔を貫けるのはリュイセンだけだ」
穏やかなレイウェンの声に、ルイフォンは深く同意する。
「だからね、リュイセンは誰よりも、鷹刀の長にふさわしい。優しすぎて、不安もあるけれど、それは周りが補えばいいだけだろう?」
自慢げで、愛しげな笑みが広がった。
多少、兄馬鹿が過ぎるきらいはあるが、レイウェンは弟が可愛くて仕方ないのだ。リュイセンだって、たまに優秀な兄に対する劣等感でいじけることがあるが、レイウェンのことを敬愛している。
ルイフォンの頬が自然に緩んだ。
摂政への交渉について議論していたはずなのに、いつの間にか妙な方向へと話が転がってしまったが、悪い気分ではなかった。
落ち込んでいるリュイセンに、今のレイウェンの言葉を伝えてやれば、きっと喜ぶ。そろそろ、この場を切り上げて電話をしてやろう。
辞去を告げるべく、ルイフォンが腰を浮かせたときだった。
じっとこちらを見つめるレイウェンの眼差しに気づいた。弟について語った穏やかな色合いのまま、彼は口を開く。
「さて。だいぶ横道に逸れたけど、話を戻すよ。――もうひとりの『俺の異母弟』」
「――!?」
甘やかに響く、レイウェンの美声。
だのに、ルイフォンの体は、一瞬にして緊張に覆われた。
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