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第3話 表裏一体の末裔たち(8)
「は……離しなさい……、この下郎……! 勘違い……です」
拘束から逃れようと、カイウォルがエルファンの甲に爪を立て、両足をばたつかせて暴れた。
「勘違い?」
「ライシェンの父親……は、私では……ありません」
「では、誰だ?」
「あなた、に……、教える……義理はない、でしょう……?」
文字通り、相手の掌中に生殺与奪の権が握られているような状況下においても、余計な情報を漏らすまいとするカイウォルの姿勢は、見上げた根性といえた。
もっとも、ライシェンの父親がヤンイェンであることは、鷹刀一族にとって既知の事実であるし、カイウォルにしてみても、確信はないとはいえ、鷹刀一族は事情を知っているのではないかと疑っているため、このやり取りは、互いにとって茶番だったかもしれない。
エルファンは冷笑した。
「なるほど。お前が父親でないというのなら、セレイエと子供を殺すことにためらいはない。女王の婚約が発表され、世継ぎが期待されている今、セレイエの子供は邪魔な存在だ。なんとしてでも探し出し、争乱の芽を摘み取っておきたいというわけだな」
何も知らない、という立ち位置の人間として、『正しい台詞』をエルファンは言ってのける。カイウォルにしてみれば、そうできたら、どんなによかろうかという内容だ。
しかし、現実には、摂政であるカイウォルは、『ライシェン』を王として迎え入れなければならない。『ライシェン』がこの世で唯一の〈神の御子〉の男子となるよう、セレイエが過去の王の遺伝子をすべて廃棄したからだ。
そんな裏の事情を承知しながら、エルファンは意地悪く迫った。せいぜい、返答に窮すればよいと、憎悪を浮かべる。
「――っ」
襟を掴み上げるエルファンの手に、鈍い振動が伝わってきた。カイウォルが奥歯を噛み締めたのだ。
黒髪黒目のカイウォルが、昏い翳りを纏う。全身を純白で包んでも、彼の本質は禍々しい闇。決して王にはなれない王兄から、この国に対する理不尽が滲み出る。
歪んだ唇が嘲るように、それでも雅やかさを残しながら、言葉を吐き出す。
「……なんと答えようとも、あなたは……あなたの好きなように、解釈するだけ……でしょう? ならば、答える意味が……ありませんね……」
「――確かに。お前の言うことは、もっともだ」
なかなか秀逸な答えだと、エルファンは口元を緩めた。カイウォルには不遜な態度にしか見えなかっただろうが、エルファンなりに評価したのだ。
エルファンは、ひとまず、吊し上げているカイウォルを降ろした。このままでは『交渉』に入りにくいと思ったからだ。
カイウォルが余計な話を持ち出してきたために、すっかり横道にそれてしまったが、エルファンの目的は、カイウォルに鷹刀一族から手を引かせることである。それも、二度と関わりを持ちたくないと思うほどに、圧倒的な『強さ』で叩き、沈黙させる――。
解放されたカイウォルは、呼吸の自由が戻ったことを喜ぶよりも先に、エルファンを不審げに睨めつけた。ほんの一瞬前まで自分を暴力で支配していた相手が、いきなり漆黒の長い裾を翻し、もとのソファーに戻ったのだ。裏があると疑うのは当然だろう。
「何か言いたげな顔だな」
どのようにして『交渉』に持ち込もうかと思案しつつ、エルファンは、とりあえず挑発的に顎をしゃくった。高慢な王族であるカイウォルなら、看過できないであろう、と。
「この私に暴行を加えて、ただで済むと思っているのですか?」
果たして、思惑は当たった。喉に違和感が残っているらしく、カイウォルは首元をさすりながら憤慨をあらわにする。
エルファンは涼しい顔で冷酷に嗤った。
「お前は、何を勘違いしている? 私は凶賊だ。我らの流儀では、力こそすべて。強さを示すことは、自己を語るも同然だ。――逆に、私のほうこそ、お前に問いたい。危険と分かりきっている凶賊の私と、密室でふたりきりになった自分を愚かだったとは思わないのか?」
「思いませんね。常識的に考えて、あなたが私を害することなど、あり得ないはずでしたから。――むしろ、鷹刀セレイエについて尋ねる、よい機会だと思いましたよ」
「ほう?」
エルファンが、からかうように語尾を上げると、カイウォルはむっと鼻に皺を寄せた。
「あなたは鷹刀一族を代表して、この場に来ています。つまり、あなたが私に危害を加えれば、それは鷹刀一族が王家に反旗を翻したという意味になります」
苛立ちもあらわに、カイウォルは諭すように告げる。
自分よりも目線の高いエルファンを見上げながらも、尊大な仕草で溜め息をついた。整った眉を寄せ、「先ほどは迂闊でした」と続ける。
「まさか、あなたが一族を顧みずに私に襲いかかってくるなど、想定の粋を超えていました。あなたが短慮を働かないよう、先にこうして説明しておくべきでしたね」
下種を見る目だ。
対して、エルファンは感情の読めない顔で相槌を打つ。
「ふむ。一族が人質になっているのだから、もっと神妙にせよ。さもなくば、王家の威信に掛けて、鷹刀を滅ぼす――と、言いたいわけだな?」
「そういうことです。勿論、先ほど私に無礼を働いた罪は、きちんと償っていただきます」
形の崩れた襟元を示し、カイウォルは憤然と言い渡す。
「なるほど――」
エルファンの喉が震えた。
決して大きな声ではないにも関わらず、魅惑の低音は、轟くように天空の間に響き渡った。
「!?」
カイウォルの肩が、気圧されたように揺れた。
武の心得など皆無のカイウォルだが、エルファンの放った殺気に、生き物の本能で恐怖したのだ。
エルファンの双眸が、あざ笑うように細められる。口元がわずかに緩んだかと思われた瞬間、ぐいと顎が上がり、鋭く冷ややかな眼光がカイウォルを斬りつけるような軌跡を描いた。
「お前は、本当に、何も分かっていないのだな。――カイウォル」
氷の美貌が魔性を帯びた。
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