第4話 和やかなる星影の下に(7)

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第4話 和やかなる星影の下に(7)

 思っていたよりも、外は涼しかった。  心地の良い風が吹き、隣にいるメイシアの長い黒髪を巻き上げ、その毛先が、ルイフォンの半袖の腕を滑るように流れていく。  明るかった室内から出たばかりの瞳には、あたり一面が深い闇だった。その分、あちこちで奏でられる夏の虫の歌が、より鮮明に聞こえる気がした。  ルイフォンはメイシアの手を取り、指を絡め合わせ、夜目の効くシャンリーの気配を追っていく。しばらくすると、彼の目でも、星明かりを捕らえることができるようになってきた。  シャンリーが立ち止まり、「このへんでいいか」と、すとんと芝生に座り込む。  彼女に倣い、ルイフォンとメイシアも腰を下ろした。ちくちくとした草の感触がして、水気を含んだ匂いがほのかに漂う。  ふと気づけば、頭上は満天の星空だった。 「綺麗……」  軽く肩が触れ合う位置から、メイシアが感嘆を漏らす。 「ああ、綺麗だろう」  シャンリーは両手を後ろに付き、紺碧の空を仰いでいた。 「あの星の中のひとつが、私たちの子供なんだ。――生まれることもなく、死んでしまった、クーティエの弟か妹だ」 「――!?」  ルイフォンは、びくりと身を動かした。  その音に虫たちが驚いたのか、彼らの歌声がやみ、まるで時が止まったかのように、世界が凍りつく。 「驚かせて悪いな」  シャンリーが、くすりと笑った。 「流産したんだ。まだ、ほんの初期のころに」  笑うべきことではないはずなのに、彼女は星を見つめながら、愛しげに微笑む。 「転んだとかじゃなくて、自然なもの。どんな夫婦にも一定の確率で起こり得る、逃れようもない、ただの不運だ」  ルイフォンもメイシアも、何も言えず、沈黙が訪れた。  星が(またた)く。  シャンリーに応え、まるで微笑み返すかのように。 「運が悪かっただけなんだ。……なのに、レイウェンは、そう思うことができなかった。自分の体に流れる、生粋の鷹刀の血のせいだと言い張った。自分を責めて、責めて……、あのときのレイウェンは見ていられなかったよ」 「……」  幼いころ、生まれたばかりの弟の死を目の当たりにしたレイウェンは、人一倍、血族に対する思いが強い。  そんな彼が、(シャンリー)に宿った小さな命を失ったらどうなるか……想像は容易だった。 「レイウェンは強い男だ。けど、血族に関してだけは、どうしようもなく脆い。愛が強すぎるから、弱いんだ。……仕方ないよな」  その言葉に、ルイフォンは数日前、非の打ち所のないレイウェンの弱点を知りたいと、タオロンとふざけあったことを思い出した。  ずきりと、胸が痛む。  レイウェンの弱点なら、とっくに知っていたのだ。彼はルイフォンを異母弟(おとうと)だと喜び、ずっと見守ってくれていたのだから。  シャンリーはまた、ふっと笑った。  芝に付けていた手を放し、ベリーショートの髪を掻き上げる。 「レイウェンのことばかり言っていたら、不公平だな。……うん。私も脆くて、弱い。私たちは、同じことを繰り返したくないと思った。――だから、クーティエは、ひとりっ子なんだよ」  ルイフォンは、はっと息を呑んだ。  異様なまでに兄弟にこだわるレイウェンなら、(クーティエ)に兄弟を、と思うはずなのに。  どうして、今まで気づかなかったのだろう……。 「セレイエが死んだと伝えられて、レイウェンは物凄く、ふさぎ込んだ。そして、遺された『ライシェン』について、実の父が育てるのが難しそうなら、草薙家(うち)に来てもらうのはどうか、と言ったんだ」  シャンリーは、紺碧の空へと両手を伸ばす。  舞い手らしく、指先まで綺麗に伸ばした腕で、星空を(いだ)く。 「勿論、『ライシェン』をあの子の代わりにするつもりはないよ。あの子は、あの子。『ライシェン』は、『ライシェン』だ」  虫たちの奏でる旋律に乗って、思いが空へと流れていく。 「ただ、そういう運命()が巡ってきたなら、草薙家(うち)に来い、ってだけだ。――うんと可愛がってやるから」  シャンリーは目元を緩め、柔らかに微笑んだ。  その顔は、どきりとするほどに優しげで、まるで慈愛に満ちた聖母のよう。普段、男装の麗人と(うた)われている彼女と、姿形は同じであるのに、まったく別の(ひと)だった。  不意に、メイシアの黒髪が風になびき、ルイフォンの頬に触れた。  彼は何気なく隣を見やり、メイシアの双眸で星が揺らめいていることに気づいた。  そっと彼女を抱き寄せる。彼女の頭が、こつんと彼の肩に載せられる。  そして、そのまま。  星降る夜に、静かな虫の歌が流れ続けた。 ~ 第一章 了 ~ ※次回から、少し長めの幕間です。
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