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第1話 颶風の到来(3)
事情聴取などというのは建て前で、イーレオを拘束するための罠に決まっている。しかし、一族を統べる総帥は、魅惑の低音を響かせた。
「王国一の凶賊としては、売られた喧嘩は買うべきだろう?」
「――っ!」
ルイフォンは声を詰まらせる。
イーレオの弁は、決して間違いではない。
凶賊たる者、『舐められたら、終わり』だ。
しかし、それはあくまでも凶賊同士、あるいは少なくとも平民なり、自由民なりの同等以下の身分の者が相手の場合だ。現時点において、この国で最高の権力を持つ摂政が相手では、あまりにも分が悪すぎる。
ルイフォンが、そう反論しようとしたとき、「ただし」と、組んだ足を優雅に組み替えながら、イーレオは付け加えた。
「総帥たる俺自らが出向いてやるのでは、いささか譲歩が過ぎる。よって、『高齢』の俺に代わり、エルファンを『総帥代理』として立てる」
宣言と共に、一族の王は低く喉を鳴らした。
「!?」
含みを感じたルイフォンは詰問の眼差しを向けたが、イーレオはそれを華麗にかわし、エルファンに視線を送った。水を向けられた『総帥代理』は頷き、総帥イーレオと同じ声質、同じ人を喰ったような調子で言を継ぐ。
「本来なら、総帥の代理は次期総帥が務めるものであるが、リュイセンはまだ役職に就いたばかりだからな。ここは、前の次期総帥である私が名代となるほうが、礼儀に適っているであろう」
「……」
どうやら、イーレオとエルファンの間で、先に話がついているらしい。
――筋は通っているのか……?
リュイセンやミンウェイは、単身で敵地に乗り込むも同然のエルファンを心配しつつも、妥当な判断だと納得している様子だ。リュイセンなどは、自分の未熟さ故に、父を危険に晒すのだと、歯噛みしているようにも見える。
……しかし。
やはり不利だと分かりきっている挑発に、あえて乗るべきではないはずだ。
ルイフォンが一族に名を連ねていれば食い下がるところなのであるが、あいにく彼には、その資格がない。もどかしさに、ぐしゃぐしゃと前髪を掻き上げ、いつの間にか前のめりになっていた体をソファーの背に投げ出すと、援軍は思わぬところから現れた。
「申し訳ございません。発言の許可を願います」
ルイフォンのすぐそばで、凛と澄んだ高い声が響いた。険しい色合いの黒曜石の瞳が、じっとイーレオを捕らえている。
唐突なメイシアの挙手に、イーレオは意外な顔をしたが、すぐに「よかろう」と応じた。
「あまり、このようなことを申し上げたくはないのですが、もと貴族として言わせてください。――カイウォル摂政殿下の求めに応じるのは、あまりにも危険です。王族や貴族は、目つきが気に食わないというだけで、平民や自由民を斬首することすらあります。それが許されると考えておりますし、事実、罪に問われることもありません」
メイシアは、膝に載せた手をぐっと握りしめた。彼女は王族に近い血統の貴族の出自だが、敬愛する継母が平民であり、身分というものに対して理不尽に思っている節がある。
「エルファン様は、武術の腕も立てば、弁舌にも優れてらっしゃいます。しかし、恐れながら、摂政殿下はそれが通じる相手ではございません。適当な理由をつけて拘留――人質にされてしまうことと存じます。……どうか、今一度、お考え直しください」
メイシアは薄紅色の唇をきつく結んだ。肉体を傷つけ合う荒事とは縁遠かった彼女であるが、それ以外の箇所を攻撃する揉め事であれば、今まで決して無縁というわけではなかったらしい。
「メイシア……」
ルイフォンの声に彼女は振り向き、はっと口元に手を当てると、みるみるうちに顔色を失っていった。国一番の凶賊に対して無礼であったと、今更のように焦っているらしい。
だから彼は、彼女の髪をくしゃりと撫でる。萎縮することはない。むしろ胸を張るべきだと。もと貴族である彼女の言葉は、とても価値のある情報なのだから。
少し前までのルイフォンだったら、メイシアに貴族の匂いを感じたら、どこか引け目のような感情を抱いた。だが今は、違う世界から来た彼女とだからこそ、補い合えるのだと思える。
「親父、メイシアの言うことはもっともだ。鷹刀から抜けた俺が言うのは筋違いかもしれねぇが、危険……じゃねぇな、『無謀』なことはやめてくれ」
メイシアの肩を抱き寄せ、ルイフォンはイーレオに訴える。
そんなふたりに、イーレオは眼鏡の奥の目を細め、柔らかに破顔した。
「〈猫〉および、そのパートナーの気遣い、感謝する。――だが、危険は承知の上だ」
「だったら……!」
「だからこそ、だ。――放置しておけば、摂政は図に乗ってくる。先に叩いておく必要があるのさ」
「けど……」
「そのための人選がエルファンだ」
イーレオの言葉に続き、エルファンも「私に任せろ」と、玲瓏とした声を響かせる。
「すまないが、お前たちは、この件から手を引いてくれ」
畳み掛けるように続けられたイーレオの言葉は、きっぱりとした拒絶だった。
「…………」
イーレオとエルファンは、あらかじめ話し合っており、既に心を決めている。そして、どうやら無策というわけでもないらしい。
ただ、その方策は、この場で堂々と言えるほどの妙案ではないために、リュイセンたちを不安にさせないよう、詳細を黙っている。
ルイフォンはメイシアと視線を交わし、同時に頷いた。
イーレオが『〈猫〉および、そのパートナー』と呼びかけた以上、ここは立ち入ってはいけない領域だ。ならば、信じて引くべきだろう。
「分かった。鷹刀のことには、俺たちは口出ししない」
無機質な〈猫〉の顔でルイフォンが告げると、イーレオは満足気に口元をほころばせた。
「ああ、助かる。――それから、お前たちは、この屋敷を出ろ」
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