てんしのかせき

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てんしのかせき

 「てんしのかせき?」  羽根のような形に見えなくもない、貝殻。  僕が日の光にかざしていたそれを見た君。  その声は、とても美しかった。  浜辺の小さな町。  図鑑と図書館と図書室と、そしてたまのこうした浜辺での採取だけが友達であり居場所だった僕にできた、不思議な友達。  つばの広い、白い帽子。白い袖なしのふわりとしたワンピース。  長くて白い手足、白い日傘。  てんしはきみだよ。と言いたくなるような子。  その子は、都会からの転校生だった。 「彼女はこの町の病院に通うために転校してきたので、体育は不参加だが、ずる休みなどとは決して言ってはいけない」  担任は、厳しい口調でそう言った。  冗談が多くて割と「当たり」と言われている担任が真面目に言うのだからと彼女をからかう者はいなかった。  小さな町の坂の上の上にある、大きな建物。そこは、ある病気の先端医療施設だ。 「転校生に色々教えてあげるように」  女子からのなるほど、という頷き。多くの男子のうらやましい、の代わりの罵声を受けた僕。  そこから、僕は普通に彼女のそばにいることになった。  美しく儚げな僕の友達は、同性からは全く嫉妬などはされず、なんとも言えない丁重な扱いを受けていた。  健気に通院する少女と、それを支える真面目な少年。  いつの間にか、僕の立場は浜辺で何かしている、本好きで成績だけはいい子、からかなりのランクアップをしていたらしい。  彼女は「静かに色々教えてくれる親切な男の子と浜辺でお友達になった」そうだ。  ご両親のどちらかの親は、この小さな町にあの先端医療施設をユウチしたのだという。 「つまり、君はこの町にとって、下にも置かぬ存在の人なのか」  口に出してから、さすがの僕もしまった、と思った。  そして、小学生がこの表現を理解しない可能性に期待した。  だが。 「確かにそうね。貴男はとても素直だわ。それは好感がもてる美徳だけれど、相手を選ぶべき美徳ね」  そう返されてしまった。  お手上げだ。 「善処します」 「そうして」   子どもは難解な言葉を理解しているのではなく、かっこつけて使用したいだけなのだと感じる大人は少なくない。  彼女も僕と同じことを知る人なのだな、と嬉しくありがたい気持ちになった。  その時初めて、彼女は僕の手を握った。  僕は代わりに、彼女の日傘を受取り、彼女にかざそうとした。  彼女のために乳母日傘(おんばひがさ)役をするのならば、光栄なことだから。 「傘なら俺がさしてやるよ」  すると、いきなり、クラスの中でも悪い意味で目立つ奴が現れた。  そして、彼女の日傘を奪ったのだ。  自分の存在を認めてほしいからと、他者の物を奪う。実に愚かしい行為だ。  しかも、彼女の日傘は彼女の体調を守るもの、彼女の盾。 「それは彼女の大切なものだ。返すべきだ」  そう伝えたが、聞かない。 「取り返してみろ」  暴力で奪い返すことは、よくない。  だが。 「邪魔なんだよ、お前!」  あろうことか、彼女の日傘で、僕を打とうとしたのだ。  彼女に日傘をさしてあげたいという純粋な好意によるならば、会話を続ける意思があった。  だが、この行いは。  許せない。と感じたときに。  僕は、相手を打ちすえていた。  浜辺では重い石をどかしたりすることもある。  なぜ、僕が体育で全力を出したふりをしていることに気づかなかったのだろう。  腕力という、多分、奴が唯一、僕よりも圧倒的有利に立っているはずのもの。  それを、彼女の前で奮うことなく、打ちのめされた。  多分もう、心が折れているのだろう。 「ごめんなさい」  奴からの謝罪は、見た。   しかし、謝意を示すべき相手は僕ではない。 「日傘を返して、彼女に詫びろ」 「ごめんなさい」  頭を下げたあとは、逃げ去った。    日傘は、無事だった。  僕は彼女に日傘を返した。 「ありがとう」  さらに、「また明日」と笑顔で言った。  翌日。  彼女の証言からだろう、僕はやむを得ず手を出した人物となった。  学校側は「ケガがなくて何よりだ」と言った。  僕の両親は、「先に手を出さなければ何も言わないし言うこともない。相手が刃物を持っていたら、保護対象者と共に逃げろ」  そんな、ありがたい言葉をくれた。  数年後、彼女は町を去って行った。 「また会いましょう」  彼女は、笑顔だった。  僕は、彼女の体調がよくなったのだろうと喜んでさえいた。  また、数年後。  僕は、遅い昼休憩を取っていた。  珈琲を飲みながらネットニュースを見ていた。   職場に戻る時間には、まだ余裕がある。  病気から奇跡の回復をして、海外の芸術祭で高い評価を得た女性が何やら貴重な作品を地方の図書館に寄付するという話題があった。  そのニュースに、僕は惹かれた。 「あの町で、天使の化石をもらったからです」  スマホの中の彼女は、笑顔だった。 「天使は君だよ」  僕は、初めて口にした。  あの時、言えなかった言葉を。 「やっと言ってくれた」  振り返る前に、白い日傘が僕にかざされた。  彼女の胸先には、あの、天使の化石。  ここがオープンカフェでよかったな。  そう思った瞬間。  僕の唇は、天使に奪われていた。
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