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 当初は売ったお金が結構あったのよ。  伯爵家代々の土地でしたもの。  結構な広さがあったし。  そこでまあ、土地そのものは結構良いところの紹介で、新しく事業を展開するという事業主に売ったの。  その頃、あちこちに工場が建ち始めたでしょう?  色んなものが安く沢山、作られるようになって、街の人々の手にも渡るようになったわ。  例えばこのお茶。  このカップ。  弾くといい音がするわね。  でもこれは、昔からの陶器の老舗工房のものではないわ。  それなりに出来はいいけど、列車の揺れの中で、壊れてもいい様に沢山作られたものの一つに過ぎないのよ。  食堂車のお皿はまた別かもしれないけど、お茶のためのカップは薄手のものでなくてはね。  これを落としても割れないような強いものにしてごらんなさい。まあ、どれだけの費用が必要か。  一等や特等旅室だったら、きちんとしたものが出るでしょうがね。  でも二等ならこのくらいで上等。  三等個室では殆ど素焼きのカップが重ねられて使われているっていうことよ。  あれは形が不揃いでもいいし、本当に安価で手に入るのですって。  これは夫から聞いていたのだけどね。  で、伯爵領だった場所っていうのは、農地としてはどうか、と思うかもしれなかったけど、近くに鉄道も走り出していて、輸送にはもってこいの場所だったの。  旧伯爵領にも工場が建ちだしたわ。  作り始めたのは石鹸。  ほら、昔と違って一家に一つ風呂桶を置くようになったでしょう?   これもまた、新しい時代ということでしょうけど。  そう、東の国から嫁いできた公主様が、どうしてもとばかりに湯浴みのできる設備を要求したという頃からかしら。  話題になって、それが健康にいい、って新聞がかき立てて、噂にもなって、実際にそうしてみた人が、香水など使わずとも体臭が気にならなくなったとか、色々あったんでしょうけど。  水で身体を洗うより、ずっと気持ちが良いということも判ったのでしょうね。  その一方で、北の国からまた嫁いできた方は、蒸し風呂のこともおっしゃって。  そうしたら、町の一角に「風呂屋」ができる様になって。  温泉地で療養する、というのも一部で逸りだして。  そうするとどんどん石鹸の需要が増えてきたわ。  それだけじゃないわね。  いくら綺麗にしても、髪は石鹸ではごわごわするということから、それにまつわる製品が次々に作られるように、試されるように、研究されるようになってきたの。  人手が必要、ということで元の領民達が一斉に戻ってきたわ。  そこには掘っ立て小屋程度かもしれないけれど、ちゃんと家も用意されていたし、長いけど、決まった時間だけ働けばいいし、何より、安定した賃金が支払われるっていうのは大きかったわね。  そう、まあ要するに、男爵家の先々代がその工場を建てだしたのよ。  そしてこの売り上げで、国に多額の税金も払って。  その功績でもって、貴族であっても無爵だった家に、男爵位が授けられたのね。
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