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家庭教師として住み込みで働く様になった男爵家はとても良いところだったのよ。
まず伯爵家の令嬢が家庭教師に「なってくれる」という感じだったもの。
女の家庭教師というのは決していない訳ではなかったけれど、何しろやはりこの新興男爵家は、貴族社会における基準みたいなものが判らなかったのよ。
私は一応、十六の歳までちゃんと年季の入った家庭教師に学んでいたのね。
一般教養だけでなく、ダンスやピアノ、それに各国の人々が集まるレベルの社交界で話される隣国の言葉もね。
私はそれ以上学びたかったけど、まあ貴族の令嬢としては充分な程度には学べたわ。
先生が言うには私はどの分野においても筋は良かったそうだし。
だからそのまま十八の時、社交界にデビューはしたのね。一応。
ただ、あちこちから招かれるということは無かったわ。
ほら、やはりそれぞれの家でパーティを開くというのは、その家とのつながりを確保しようというのが目的でしょう?
私の家には既に領地は無く、ただそれを売った資産で何とか食いつないでいるだけ。
だから私を何処か金回りの良い家に嫁がせたいとは当初、思っていたようね。
そう、食いつなぐにしても、だんだんまずいところに近づいてきていたのよ。
二十歳近くなった頃、弟が寄宿学校に行くことになったの。
弟は頭は悪くはないけど、恩賜の奨学金が取れる程ではなかったのよ。
だから、これがもうずいぶんとお金が必要だったのね。何せ王族の方も通われる学校なんだから。
それで、私の社交界デビューの際に作った服も、一つ二つと売られていくことになってしまったの。
弟には、学校で肩身の狭い思いをしないように、とどんどん新品を用意していったわ。
学費だけではなく、寄宿費、学校の行事にかかる費用、友人づきあい、私の家庭教師にかけたお金どころではなかったわ。
それで元々少なかったパーティの招待状も、行けないことばかりになってしまって。
ドレスは減って、普段着も充分あるから、と新調されなくなってしまったわ。
それだけではなく、次第に使用人も減ってきたの。
私は元々自分のことは自分でする様に、と言われてきたのだけど、家庭教師の話が来る頃には、家の掃除や料理の手伝いもする様になっていたのよ。
だから私、自分の家から出て、職につくと聞いた時、正直、嬉しかったわ。
伯爵令嬢なんて言ったって、牧落していたら何の意味もないのよ。
だって、私と結婚したところで爵位がついてくる訳でもないんですもの。
弟が継ぐことは決まっていた訳だし。
だからこそ、だんだん私の扱いがぞんざいになっていったんでしょうね。
愛想が無い、この子は社交界に一年出入りしていたけど、結局いい家の男を捕まえることができなかった、って。
家族がそんな風だったから、男爵家でまず歓迎されたことが凄く私、嬉しかったわ。
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