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苡月が黒い子犬と少したわむれ、別れを惜しみながらもやがて子犬が足元に戻ると、男は苡月の荷物を差し出す。
荷物のことを忘れてしまっていた苡月は、はたと気付いて慌てて頭を下げる。
「あ…! っ持たせてしまったままで、すみませんでした…」
「ううん。階段登っていける?」
「はい、…これ以上ご迷惑はかけられません」
「そっか。うん、君の言うとおり…ここまでにしておこうかな。この先は毒が強いからね」
「?」
男の言葉に苡月は小首を傾げかけるが、ゆっくりと荷物を戻され、たちまち頭の中が両腕の重みに支配される。
「じゃ、気をつけてね」
「はい、ありがとうございました。今度会えたら、一緒に散歩コース回らせて下さい」
「うん、構わないよ」
苡月が頭を下げるなか、男は子犬を連れ、元来た道を戻っていく。
「…ふあぁ、登れるかなぁ…」
げんなりした面持ちで手元の荷物へ視線を落としつつ、姿勢を戻した苡月ははたと気づき、男が歩いていった方を見返す。
しかしその時にはすでに、男と子犬の姿は消えていた。
「名前聞き忘れちゃった。…せっかく友達になったのに」
呆然と誰もいない景色を眺め、苡月は自分の手落ちに嘆息しながら呟く。
すると、下げた目線が地面の違和感をとらえ、吸い込まれるように視線を持っていかれる。
「…!」
荷物を石段に置き、苡月は光る小さなチャームを拾った。
おそらくドッグタグと思われるそのチャームは、ガラスか水晶で出来たように透き通っていて、小さな楕円の中に彫られた幾何学模様が、光を反射してきらきらと輝いていた。
苡月は、その繊細で緻密な美しさに一時見とれてからはっと我に返り、再び道の先へ視線をやった。
「…きっと落としていったんだ。また会えるかな…」
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