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「もう時間なのか……速いな」
ほとんど頭しか残っていない彼の周りには、もともとは彼の一部であった白い砂の山ができている。
「俺、一つだけわかんないことがあるんだ。堕天使の魂がどこに行くのか」
謎を残して消えたくないよ、教えてくれよと懇願する彼に向って、私は言った。
「神様の気が向けば、また天使として過ごせるんじゃないの」
「そうだといいな」
けらけらと笑ったのち、彼はまた一つ言った。頭は、もう顎下まで砂に埋もれかけている。
「……俺、あと一つだけ疑問が残ってた。今俺がわかんないことは一つだけ」
「なによ」
「アンタの名前」
初めてしっかり見たかもしれない彼の碧い瞳が、白い世界によく映えた。
「そんなの、また天使になったときにでも神様に聞けばいいじゃない」
「今知りたいんだよ」
「……名前は、ない」
「嘘」
「これは本当よ」
そう、本当だ。私には名乗れるような名がない。あったのかもしれないけれど、憶えていない。記憶にない。
「なら今つけてやるよ」
そうだな、と一瞬瞳を閉じて彼が言葉を紡いだ。
「自分で天界から降りた女神様。アグライアなんてどう」
アグライア……。その名を聞いたとき、頭が割れそうなくらいの痛みを伴って記憶が流れこんできた。
あぁ、私はアグライアだ。
無慈悲にも神の怒りに触れた天使を堕とし抹消する。そんな天界が嫌で嫌で、こうして降りてきた。
天界での記憶も名も、すべて消して。
ほぼ消えかけている堕天使の彼へ向けて、私は言った。
「貴方の謎解き、正解よ。私も自分が誰か思い出した。予想通りアグライアだった。だから貴方の名も教えて頂戴」
「合ってたか、よかったよ。でも教えられる名は無い。死後にはルシファーとか呼ばれはするのかな」
彼には名がない。それはそうだろうと思う。堕天使は、堕とされたその瞬間に、その名を剥奪されるのだから。
「なら、今度は私が貴方につけてあげるわ」
「いいよ、もう死ぬから」
「来世で名乗りなさいよ。いい? 貴方はミカエル」
「ミカエル……か。いいな」
彼の体は、もう右半分の顔しか残っていない。話すのにも苦しそうだけれど、堕天使――ミカエルは私の目をとらえて必死に話す。
「俺、最期に話せたのがアンタでよかったよ、女神さ――いや、アグライア様。楽しい時間……を、あり、がとう……」
そう笑うミカエルに、私も微笑みを返す。その笑みのまま、ミカエルは白い砂となって消えた。
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