第四章「月見草の導き」

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「もう少しお月さんが登ったら、男の人が来て泣くんだって」  もちろん、明日香の言葉は日本語として何も間違っていない。でも、琴音にはその意味が分からなかった。こんな時間に静かな住宅地に男の人が来て、本当に涙を流すのだろうか。 「お花さん、その人がどんな男の人なのかって言ってた?」 「わかんない」 「じゃあ・・・もう少しっていうのは、いつくらい?」 「もう少しって言ってた。・・・あたし、ここにいるの」 「もしかして・・・男の人が来るのを待つの?」 「うん。待つの」 「うん・・・、その男の人をちょっとだけ見たら、帰るよ?」 「わかった」  橋の近くに空き地のような場所があるので、琴音はそこで待つこととした。月の光に照らされて、夜の町は静かなモノトーンの風景画のようだ。  目の前を流れる佐保川は、1,300年前、つまり、奈良時代から続く河川だ。当時は舟運の要として、多くの物資が運ばれていったのだろう。いや、当時の佐保川はもう少し西側を通っていたのだったっけ?  ちょっと足を伸ばせば聖武天皇陵、別の方向にちょっと足を伸ばせば東大寺や正倉院。こんな立地で暮らしていると、時々、歴史と日常生活が交じり合ってしまうよね・・・そんな風に物思いにふけっていると、突如、聞きなれた少女の声が少し離れた場所から響く。 「どうして泣いているの?」  ハッとして橋のほうに目を向けると、明日香が長身の男性に声をかけていた。「しまった!」と琴音は思い、その方へと駆け寄る。・・・ただ、我が娘が声をかけているその男性は、確かに、涙を流していた。
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