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ガラス張りのビルが、夕暮れを写している。
イオリは大型歩道橋の上から、眉間に皺を寄せて、それを眺めていた。
自分で埋めなければ空白のままのスケジュール。直接営業成績に繋がるかどうかはわからなくても、とにかく埋めていくしかなかった。アポイントの合間ですら、会社へ戻ると、外回りしてなんぼ、と上司に追い出されてしまうのだ。確かに日中、社内にはアポ取りの電話をかけている以外、ほぼ人はいなかった。
しかたがないので空いた時間、コーヒーショップへ入ったり、店をウロウロして時間をつぶしていたが、疲れるし、余計なお金が出ていってしまう。灼熱の間はそんな事を考える余裕もなかったが、季節が少しだけ楽になった最近は、もっぱら外で過ごすようになっていた。
なんとなく、人と違う人生が送ってみたい。そんな厄介な、漠然とした考えがいけなかったのだと思う。
就職活動で、いったい自分は何をやりたいのか?と問いかけた挙句、どれもこれもぴったりくるビジョンが見えず、消去法消去法で絞っていって、残ったのが今の仕事。
なんとか会社に潜り込めたのは幸運だったのだろうが、先輩方は忙しすぎて指導どころではなく、いきなり現場に放り出され、上司は実戦で学べしか言わない。アットホームな職場の、経験を問わないお仕事です、という求人広告が大嘘という典型だった。
人と違う人生ってなんだろ。
そうやって黄昏ているうちに、そろそろ帰社しても許される時間になった。いつもの如く特に収穫といえる収穫もないが、会社へ戻ることにする。
と、いつも利用するターミナル駅に近づいて、大声を上げそうになったイオリは口を抑えた。
「なんてこった」
推しの、巨大な看板が出現していたのだ。
「そうか、新曲」
今回は、こんなでっかい看板出してもらえたんだなぁ。
デビュー当初からの古参ではないが、それなりに長い間、イオリはこのグループを応援していた。メンバーはみんな可愛く、歌も上手く、ダンスも素晴らしい実力派だった。
「もっと売れてもいいと思うんだけどね」
新曲は、汚れてしまった銀の天使が、たったひとつの思いも報われない、みたいな歌だった。ダークな路線で新機軸、なんだろうか。かなり、迷走している感。
もうちょっといいプロデューサーとかついてくれたら良いのにな、などと思いながら、迷走してるところも自分そっくりだなぁなどと思い上がる。
グループの名前を友だちに言っても、ほぼ「誰、それ?」と返される。CDもコンスタントに出しているのだが、売り上げはいまひとつで、ちょっと大きな箱だと埋めつくすのに毎回苦戦している。
彼女たちには才能も、実力もある。でも、そんな彼女たちですら、そんなに報われてるとは言い難いのだ。いわんや、自分においてをや。
耳に突っ込んだワイヤレスイヤホンをタップすると、聴きかけの新曲が流れ出した。ちょうどサビの部分だ。
♪汚れてしまった銀の天使は
たったひとつの恋にも救われず♪
自分は社会人になって、納得のいかない仕事をして、汚れてしまったのか。でも、全くピカピカというわけには行かないだろう。普通に生きていれば汚れて当然だ。
そして、彼女たちを応援する事は、恋のようなものかもしれない、とイオリは思う。
これから帰社して、上司をやり過ごし、家に帰って彼女たちのYouTubeチャンネルを見ながら眠るのだ。
一人の夜に、寝返りを繰り返したとしても。
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