第1話 死神の手

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 充分に生き、充分に苦しんだ。それは亡くなった本人にしか語ることが許されない言葉だろうと思う。だが、確かに彼は苦しんでいたし、充分に生きたと話していた。だからこそ私は私の仕事をした。本来望んでいた仕事とは真逆の仕事を。  医師になって八年。  ただ祖父が日本でトップクラスの規模である医療法人の代表であり、ただ父親がその病院の外科部長であるという理由で「勉強のため」に渡ってきたベルリン。  私にとって医師という仕事は確かに誇りではあるし、やりがいにも溢れている。驕り過ぎぬよう心の(くさび)を時折打ち付け直しながら、この道を進んできたはずだ。 「あの、シュミットさん」 「はい、なんでしょうか」  遺族を呼び止めておきながら、次に紡ぐべき言葉は出てこない。顔もまともに見られない。シュミットさんの息子夫婦と、その後ろに隠れるように立つ少女の足元に向けて視線を落としたままで動かせない。信じてもいない神から罰を受けそうで怖くなる。 「いえ、何でもありません。お気を落とさずに気を付けてお帰り下さい」  私の心のこもっていない言葉に、遺族は特に返事をするでもなく私の前から去った。
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