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 僕は足元でお座りするアルのリードを、少し緩めてやった。夏が終わり、チョコレート色のくせ毛は仔犬(パピイ)みたいにふわふわに伸びている。トイプードルは賢いとよく言われるけど、アルは特に人の心が分かる。今も僕が疲れて少し休みたいのがちゃんと伝わっていた。ベンチの下の冷たいタイルに足を崩して、はっはっと舌を出している。 「ずいぶん遠くまで来ちゃったな」  秋の日曜日の午後。天気もよくて風も穏やかだ。 いつもの散歩道から少し逸れてみようと思っただけなのに、気がつくと二駅先の街まで来てしまっていた。 まあ、夕方まではまだ時間がある。ジュースでも飲んで休憩しようかな。 「ちょっと僕。桜団地はどっちだったかしら」  急にかけられた声に驚いて振り向くと、銀髪の年配の女性が近づいて来る。クリーム色のパンツスーツを来て、ゆっくりだけど足取りはしっかりしていた。 この辺りは滅多に来たことがない。団地の名前すらも知らなかった。 「すみません。この辺はよく知らなくて」 「困ったわね。帰れなくなっちゃった」  え? 頭の中に一瞬よぎった疑問符を吹き飛ばすように、おばあさんは続けた。 「三号棟の205号室が私の家なの」 「はあ…」  お年寄りの迷子かな 近くには交番も見当たらない。ただ看板があって、この一帯の簡単な地図が書いてある。それによると目の前の細い道を西に進んだところに、桜団地はあるようだった。歩いてもすぐだ。何だ、少し見失っただけじゃないか。僕は取って返すとおばあさんに話しかけた。 「この道の先にあるみたいですよ。一緒に行きましょうか」 「本当? 助かるわ」  ぱっと笑顔になったおばあさんと並んで、僕とアルは歩き出した。アルが時々、確かめるようにちらちらと見るので、自然とおばあさんも笑顔になった。 「可愛いのね、あなた。それにとっても賢そう」  にこにこしながらアルに話しかけている。 桜団地は全部で八棟あった。番号順に建てられたと思われる建物は、数字が低いほど階層も低くこぢんまりとしていた。
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