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「確かに住所は合ってますね」
達ちゃんは番地を確かめて頷いた。
「ところで、今日はどこかへお出かけですか」
「ええ、そうね…」
迪子さんが曖昧に言って首を傾げた。上品な淡い色のスカーフが首元で揺れ、薄化粧もして手には指輪が光っている。パンプスは踵が低く手入れも行き届いていた。
「誰かとご一緒でしたか」
「歩くのが遅いから、最近は車に乗せてもらうのよ」
「今日は日曜日ですもんね。お天気もいいですし」
「そう。それでお墓参りに行くことにしたんだった」
不意に迪子さんがはっきりと喋った。達ちゃんはその横顔を見つめながらまた言葉を継いだ。
「お彼岸は過ぎてますけど、どなたの?」
「それは主人の…、あら、あの人もう亡くなってたんだわ…」
少し抑揚を欠いた声になった。現実と夢の中を行き来しているようだ。達ちゃんは少しずつピントを絞って質問を繰り返していった。
迪子さんの記憶の欠片を集めながら、こちらの知りたいことを教えてくれるように慎重に誘導していく。探偵の前は交番勤務のお巡りさんだったのに、どこでこんな技を覚えたんだろう。いつもの茶々を入れるのも忘れて、僕は二人の会話に耳を傾けながら成り行きを見守った。
「それじゃ、ここには長いこと住んでるんですね。お知り合いも多いでしょう」
迪子さんの瞳が急に光を帯びて輝き出した。
「そうそう。昔はしずちゃんとよくお喋りしたわ。子どもも同じ学校に通っててね。気がつくと部屋の窓から、自分たちの子どもがブランコに乗っているのが見えて、急いで迎えに行ったこともあるの」
僕は団地の様子を思い出した。ブランコは二号棟と三号棟の間にあったはず。ベランダから覗いたのでなければ、それは一階の部屋だろう。もし、ブランコの位置がそのままなら…
どちらかの棟の一階に
彼女の友人が住んでいた
今もまだいるだろうか。
「最近はお会いになりましたか」
「こないだ一緒に秋桜を見たわ」
「その方の、しずちゃんの部屋はわかりますか。連絡先や苗字とか」
「ああ…、いえ。でも苗字は高野、かな」
達ちゃんは小さく頷いて迪子さんに微笑んだ。
「お話してくださってありがとう。せっかくですからその方を訪ねてみましょうか。彼女と会えたら、あなたをお家に帰してあげられると思いますよ」
郵便ポストと表札を頼りに見て回ったところ、二号棟の102号室が高野さんだとわかった。達ちゃんの後ろでドキドキしながら、僕はチャイムの音が部屋の中で鳴るのを聞いた。
鍵の音がして古い金属製のドアがゆっくり開く。綺麗な白髪の女性が驚いた顔で立っていた。
「どなた?」
「しずちゃん!」
嬉しさに満ちた声が踊り場に響いた。迪子さんが声を上げたのだ。目の前の女性はさらに目を見開いたが、見覚えのある面影に思い当たったのか、恐る恐る尋ねた。
「みっちゃん…?」
ともかく、彼女を知っている人に会えた。僕と達ちゃんはお互いに安堵の表情でため息をついた。
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