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取り残された僕は、何とも言えない喪失感を持て余しながら、食卓に着き、ユイの作ってくれたパンケーキを頬張った。
とてもおいしかった。悲しいほど美味しかった。だって、最後のパンケーキだ。
僕は涙を拭いながら、引き出しから便箋を取りだし、使い慣れたペンで、一心に文字を綴り始めた。
はじめから、こうするつもりだった。
『愛するユイへ。
いきなり手紙なんか残されて、君はびっくりするだろうね。でも、僕の最初で最後の、そして懺悔の手紙を、どうか受け取ってほしい。
実は、僕は人間じゃない。天使なんだ。
正確に言うと、元天使。今は罰として下界に落とされている身なんだ。
あ、手紙を捨てないで!
真面目な話なんだ。どうか最後まで読んでください。お願いします。
僕はある日、天上で、全天使業務に支障をきたすウッカリミスをやらかしてしまった。
(内容は極秘なんだ、ごめん。)
で、そんな未熟ものには100日間の、人間界での修業が義務付けられる。
内容は至ってシンプル。
人間のふりをし、ある一人の人間と生活を共にし、100日間、その人の心の安らぎとなるように努める事。
覚えてる? 初めて二人が出会った夜のこと。
君は恋人の暴力から逃げて、雨に濡れながら、住む場所もなく彷徨っていた。
震える君を放っておけないし、恋人とかそう言う関係に決してならずに、ただ支え合う目的で、一緒に住もうって、僕の方から提案したよね。
ごめんね。優しいふりをして、君に近づいた。
君を修行の道具に使ったと思われても仕方ないよね。
でも、これだけは信じて。
僕はあの時から今日まで、君の事を本当に大事に思って接してきた。
やがて離れなければいけない日が来るのを申し訳なく思いつつも、いつも見守り、君が一人で生きていく元気を、育ててあげたいと思った。
あの日の君は、本当に折れてしまいそうな一輪の花だったから。
ここまで読んでくれたら、もう分かるよね。
今日がその100日目なんだ。僕の意思とは関係なく、僕は今日、君の元を離れなければならない。
本当に辛くて苦しいけど、それが僕だけの気持ちだったらいいな、と思ってる。
君は聡明で優しくて健全な女性だ。
僕が居なくても、幸せに生きていける元気を、ちゃんと取り戻せたと思う。
僕の方は、……君が居ない日々に慣れるまでずいぶん時間がかかると思うけど、これもきっと罰のひとつなんだろうね。
神様って、意外と意地悪なんだ。
長々と書いてしまってゴメン。
この手紙は、君が読んだあと、5分で消えて無くなるはずだ。
そしてこの手紙を読んだ記憶も、数分でじんわり消えて行く。
僕と過ごした日々も、いつかこの手紙と同じようにゆっくり消えて行けば、いいな。
ゴメン。最後の一行は嘘。
本当にごめん。
パンケーキ、すごくおいしかった。100日間、一緒にいてくれて、ありがとう。』
僕はティッシュで涙を拭い、鼻をかんでから手紙をきちんと折りたたみ、封筒に入れた。
さよならと、愛してるは、書かなかった。
どうせすぐに消えて無くなる手紙と記憶だ。
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