帯のある本

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積み重ねというものは、大事だ。 何事においても。 運命も、積み重ねの上で編み出されていくものかもしれない。 帯のある本 「書籍化……ですか」 担当編集者である矢野クロスケにその話をされたのはだいぶ前だった。 当時の有島アキノは目を丸くした。 「結君の小説は人気が有るからね。アンケートでも書籍化を望む声が多かったんだ」 結とはアキノのペンネームの一つで、雑誌はBLを取り扱うものだった。 故に、今もBL小説を連載している。 「実体験が透けて見えるリアリティさが人気なんだよ」 そう褒められても、書籍化という言葉が実感無く、はぁ、と気の抜けた返事しか出来なかった。 「別に不都合が無ければ準備を始めたいんだけれど」 「それは構いませんが……本当にいいんですか?」 「うん。君が良ければ是非」 雑誌に連載させていただきそれで給料を貰っている身であるが、正直趣味半分で書いていたものだ。 それが"本"という形にして店頭で売られるのは、なんだか申し訳なくも思った。 「あの小説はその価値が有る、と読者が言ってるんだから、もっと胸を張っていいんだよ」 そんな風に言われたら自己肯定感と気分が上がってしまう。 しかしそれは幼い頃に夢見た事でもあることを思い出し、ではお願いします、と出た言葉は少し上擦っていた。 「んで、とうとう発売すると」 そのやりとりをユウリに話したのは、一年後だ。 アキノの部屋に入り浸っていたユウリに話題を振ったのは理由があった。 「なんで言ってくれなかったんだよ」 恋人に隠し事をされた、とユウリはちょっと不機嫌な顔になる。 「まあ一応機密事情なわけだし、内容は連載時と変わらないからね」 結名義だけでなくアキノの作品全てのファンであるユウリにとって、勿論読んだものだった。 「それにフラゲであげるつもりだったから」 そう言いつつ作業用デスクの引き出しから本を出し、ユウリに差し出す。 ふぅん、とユウリは受け取り、機嫌を直した様だった。 その単行本には、帯が無い。 それには理由が有るのだが、ユウリには知られたくなかった。 アキノの初単行本は、初日からまあまあの売り上げになった。 それをクロスケから聞いて、正直ほっとした。 いくら趣味半分とはいえ力を入れている作品だったから。 まあそれを言えばどんな作品にも手は抜いていないけれど。 「いやいや、これでアキノも文豪になれたわけですね?」 ユウリが揶揄ってきて、アキノはやめろよと冗談でたしなめた。 「でも本当におめでとう。なかなか出来ない事だよ。書籍化なんて」 確かにそれはそうだ。大抵の小説家はそれを目標にしているのだから。 「そんな文豪先生に一つお願いが有りましてね」 ユウリが上目遣いで言ってきて、ろくでもない事だろうけど、何、と訊き返す。 「サインしてください!」 元気に言うものだから、え、とアキノは漏らした。 「そんなの今更じゃない?」 「今更でもファンとしては欲しいんだよ」 恋人と言う関係でいるのに相変わらずファンだと言ってくれるのは、正直かなり嬉しい。 じゃあいいよ、と返すと、やったあ!と鞄から本を取り出した。 サインペンと共に差し出された自分の単行本に、アキノは固まる。 その本には、帯が付いていたのだ。 「えっ!?わざわざ買ったの!?」 あげたのに!!と続けると、ユウリは悪戯っ子の顔をした。 「だって本屋で見かけたら、帯がさあ」 とんとん、と指差した先に、「すい」と名前が書いてあった。 「そうだよ、帯がそれだから見られたくなかったんよ!!」 小説の帯というものは、読者の感想が書かれている事がある。 「すい」は、ユウリのペンネームだった。 あ〜!!気不味い!!とアキノが両手で顔を隠し、ユウリは爆笑する。 「てかなんで俺のにしたんだよ。別にいいけど、職権乱用みたいじゃね?」 「いや、そうだよ。そう思ったからすっごい悩んだんだけど、やっぱりこの感想が一番良かったから……」 眉間に皺を寄せ苦渋を顔で表すアキノに、へえ?とユウリは言った。 この感想を貰ったのはまだ付き合う前だったのを覚えている。 恋情の言葉では無いから、純粋に感想として嬉しかった。 「じゃあ今回の書籍化は共同作業だ」 ユウリはにこにこで言ってくる。 その一面はあるが大体は出版社のおかげだとたしなめた。 「でも、ユウリがわざわざ買ってくれたのは嬉しいよ」 サインなんて書いたことが無かったから、遊び紙に漢字で結とだけ書く。 「やったあ!結先生のサイン本だ!!」 ユウリは本を受け取って大袈裟に喜んだ。 「あげた方には書かなくていいん?」 「うん。あれは推しの先生の本じゃなくて、恋人のプレゼントだから」 なんだかオタクみたいな事を言うなあ、と思いつつ照れ臭く感じたりする。 ありがとうございます!とファンとしてお礼を言われ、尚更照れてしまった。 その後ユウリは自室に戻り、今日の戦利品の表紙を捲る。 推し作家の本と、愛しい人の本。 同じインクで綴られているのに、何故か内容が違う様にさえ感じた。 そ、と、指で文字をなぞる。 何も変わらない、同じ人間が書いた文章。 どちらの本も、ユウリにとっては運命すら感じる一冊だった。
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