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スマホがバイブを伴って大きく鳴ったのは、雪が降りそうな帰路の途中だった。
その名前を見て、今すぐ着信拒否を押してやろうかと眉間に眉を寄せる。睨みつけるような視線は、黒い着信画面にはっきりと映った。でもこのタイミングで電話が来るのも、タイミング的にはちょうどいい。なんなら店の中でかけられる方が、香澄は迷惑だっただろう。しょうがない、今くらい付き合ってやるか。
風が冷たい。雪の感触に触れたまま。電話には適さない環境の上で、私は嫌々ボタンを押した。
「もしもし」
先手は相手に取られた。
「…もしもし」
「今「ゆとり」にいただろ」
はあ、と言いそうになるが、雪のせいか街は静かだった。そんな中だと、大声なんて出せなかった。
「見てたの?」
「あの店にいたんだよ」
嫌ではなかった。店で騒いだのは私ではなくて、香澄の方であったのだから。それを私自身が恥じる必要はないのだ
しかし相手の口から飛んできた言葉は、いきなり最も肝心な部分を突いてくる。
「あの子と友達やめな」
「はあ!?」
大声を出してしまった。いろいろな意味で、体が固まる。ただ、周囲にそれを気にしている人は居ないことだけは救いだった。
「てかあの子のこと、ホントは嫌いでしょ。あの子、人間の大事な基盤が整ってない。少なくとも、李依よりは」
侮辱か、とも思えてしまう。ただし、半分は肯定してやれる。まあ、香澄に対する信頼が薄いのも事実だ。
「あなたにそんなこと言われる筋合いはない。少なくとも、あなたには」
「俺の名前はあなたじゃありませんー」
「あっそ」
沈黙が流れる。本当は今すぐ電話を切りたいのだけれど、この沈黙は切るべき沈黙じゃないな、という不思議な考えが私を縛り付けた。
「ねえ、俺が昔した話、覚えてる?」
その話題は毎度、心臓が騒ぐ。こいつと電話すると、必ず毎回聞いてくる。正直、ちょっとうざったい。隣の家の屋根下に伸びる氷柱が、また雫を落としては雪に隠れてしまった。
「忘れられるわけない」
「そんな響いたの嬉しいなあ」
「毎回電話で聞いてくるから頭にこびりついてんだよ」
そっかそっか、と笑い混じりに返される返事の中に、彼の少しの惰性があった。
「感じたくないものは感じない、でしょ」
「前座は?」
カチン、と頭の中で何かが切れた。
「うざいから切るね」
「ちょっと待って、あの子のこと。」
切れない。切れなくなった。
「これだけは覚えておいてほしいんだけど、俺は李依があの子といることに否定はしない。ただ、あの子からは感じちゃいけないものを感じるんだ。よくわからないかもしれないが、あの子といるといずれ李依は狂う」
狂うだなんて表現、なんて汚らしくて生々しいんだ。やっぱこいつはどうしても、気に入らない。
「それでいいよ、私は絶対に狂わないから」
「ちょ、李______」
ふっと息をつくと、ブツリと電話を切った。
話題が嫌いなのもあっても、まずあいつと電話なんてしたくなかった。関係の疎遠を進めたのは、あっちの方だっただろうに。
それは良いとして。「そう言われれば」、そんな言葉は当たり前のように出てきて、私の心を殴った。なぜあんな可愛らしい子にそんなことを簡単に言えてしまうのだろう。それもすべて、電話の相手のせいなのだろう。そう思うしかなくなるのだ。香澄は友達となるべきではない人間であり、人間としてしっかりしていない人間。
上着の中に入り込む冷気は、私の体を蝕んだ。かじかんだ手を擦って、スマホをポケットに仕舞い直した。
うるさい。私はあいつほど腐ってない。昔はクラスの皆から憧れの存在だったのに、高校に入った途端あんな事になっちゃって。あいつこそ人間の不良品みたい。下僕にするにはあれくらいがちょうどいい。私もあいつほど腐ってるのかもしれないけど、少なくともそれをちゃんと説明できるほど私は野暮じゃない。どっちかといえば、あいつのほうが嫌いだし。
『俺の名前、一週間以内にこのメールに書きなさい。これ、課題ね』
そのメールに私が既読をつけることはなかった。つけたら私は狂ってる証拠だよ。バカじゃねぇの。つけるわけないじゃん。この電話とメールで、更にアイツのこと嫌いになったわ。
雪が降り始めると、乾いたため息が私の口から零れ落ちた。あいつと私の関係も雪みたいに、冷めきって凍ったままなんだ。
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