腐生の終活〜生きるって難しい!〜

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初めてスマホを手に入れたのは中学生の時だった。親は姉の姿を見て生きているから、「スマホ」に対しての価値観が世間と合わない。何時間も使う、それはある意味常識だったのだった。 だからこそ、スマホを手に入れるのも時間制限も時間帯も、他の家よりずっと緩かった。時間制限は特になし、姉より使用時間が短ければそれは少ないとみなされる。時間帯の決まりもなく、夜十一時まで香澄とメールを繰り返し、私のほうが眠気に負けてベッドに置いたまま寝ることもあった。 アプリは自由に入れることができたが、私は初期設定の物以外には、メールとお気に入りのゲームしか入れなかった。入れたくなかったのだ。アプリをインストールすればするほど、あの廃人に近づいてしまっている気がしたから。 昔はがっつりプレイしていたゲームも、いつしかソファに横たわる姉の背中を見ていると、ログインするのを控えるようになった。今でも一日一回はログインしているが、前ほど白熱はしなくなった。五年も同じゲームをやり続けても飽きない。それはたぶん現実よりも、ずっと幸せで緩急がついた場所にいられるから。…飽きないというよりは、「飽きられない」に該当すべきかな。メールでのやりとりをいちいちチェックされるわけでもなかったが、自由度が高かった分、それは姉と自分の重なりを示しているようで、苦しいという思いもあった。 まだ新しいスマホを使いこなせない頃、初めて同年代の子と連絡先を交換した。稲地真奈というクラスメイトだった。友達以上の関係はなく、でもだからといって知人とするのも何か違った。くくりとしては、「関係浅い系の友達」。そんなところだった。なんだか同じようにも聞こえてしまうけど、友達未満ではない、でも仲は良くないという部分が難しい。 彼女の家もまた、スマホはすぐに買ってもらえたらしかった。なぜか。時間があったから。なぜ時間があったか。不登校だったからだった。真奈はトランスジェンダーだった。そりゃあストレスも溜まるわけだよなあ。 私がたまたま係でプリントを届けに行った時、彼女は私からプリントを受け取るや否や、こう口に出した。 「君、スマホ持ってる?」 クラスメイトに聞いてみると、係の子がプリントを届けに行くたび、みんなにそう聞いているらしかった。友達が欲しいんだと思う、と同じ母校の子がみんなに聞こえないように呟いていた。そんなことを知らない私は正直に持ってると答えてしまい、そのまま交換したのだった。 たしかに母校の子が語る通り、友情に飢えていたかのように毎日メールが届いた。数はそこまででも、真奈のメールは、なんだか日ごとに人格が変わっているような気がした。 「今窓見たら猫が通ってった。三毛猫だった。うちにもシャム猫いるよ」という物事を一つのメールにまとめたタイプが一番多かった。おそらくこれが、彼女の真のメールの送り方。でも時折、「今日の夕ご飯カレーだった」「めっちゃうまい」「季依はカレー辛いの苦手?」と文ごとに一通一通分けられていることもあった。またある日は、「かばんにゴミ 取ったら虫 こわ」と文節を連呼しているみたいな日もあった。 気になった私は真奈の母親に聞いてみたが、二重人格とかそういう診断も様子もないらしかった。その代わりみたいに、「彼のコンディションとかモチベーションの問題だと思うから、大目に見てあげてね」という返事をもらったのを、なぜかしっかり覚えている。別にそうそう大事な記憶じゃないのに。 真奈には中学卒業後、一回も会わなかった。でも、正直、会いたい。なんだか遠距離恋愛みたい。好きなわけでもないのに。真奈と会ってその後のことがなにか変わる気はしないが、会うことで私自身は変わるものはあると思う。 連絡先表を「友だち追加順」に合わせ、一番下までスワイプした。ぐっと画面が揺れると、見慣れた名前とアイコンの中、「Inaji Mana」が目に留まる。最近流行りのアニメキャラのアイコンに、トプ画はおしゃれな首輪のシャム猫。名前は知らないけれど、おそらく真奈がが飼ている猫だろう。 メールの画面の先に居る、約二年越しの誰か。今生きているかすらわからない人。どんな声で、どんな文脈で迎えたらいいだろう。真奈がやっていたみたいに、自分の中の感覚で送ってしまえばいいだろうか。 そういえば、昔の真奈はどんな人間だったっけ。どんな言葉のやり取りをしていったっけな。意識して思い出してみると、それは今更あの時より新鮮さを帯びて私に襲いかかってきた。一番思い入れのある、真奈の姿。それは不登校という現実に似合わないほどに清々しくて、私が憧れるほどに綺麗だった。それは頭のずっと奥にひっそりと残されていた、桜の季節のことだった。
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