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学校には、様々な容姿の生徒が蔓延っていた。つい一週間前に三学期が始まり、気が乗らない生徒もあちらこちらにいた。校則違反のメイクやピアスが鼻につく。コートのポケットに手を突っ込んで白い息を吐くと同時に、校門の門に左腕が触れる。ジャージの入ったトートバッグを揺らすのと同時に、後ろで結んだ長い髪の毛も風に靡いた。クセがある硬めのストレート髪は、こうしておくのが一番楽で良い。枝毛だけは、許せないからね。
吹雪で昼から登校ということが無駄に長く書かれた「ご連絡」メールをスマホから削除し、下駄箱を過ぎて教室に向かう。
十一月に開催予定だったがインフルエンザが思ったより早く蔓延し、実行委員長がいる三年生が学年閉鎖になったため、延期になった球技大会。もちろん一部の生徒からは、ブーイングは止まなかったが。午後からなら難なく開催できそうだという判断が体育専科下ったらしい。てか体育館なんだから、午前でも良かっただろ。何が着雪警報によって、だよ。
まあでもある意味、香澄にとってはラッキーだったかもしれない。予定通りに開催していれば、香澄は出ることができなかっただろう。
教室の錆びついて下がり切った空気をかき分けて荷物を片付ける。トートバッグを殴るように手にとって、足取りを重くしながら更衣室へ向かう。ブレザーを階段を登る途中で脱いだ。友達と喋りながら着替えて扉を開けたところではまだ、集合時間まで時間は十分に残っていた。
朝八時十五分を示す、シンプルな時計。長針と短針。白い縁。黒い文字。それに目を取られていると、きれいな顔立ちの少女が私に近づいてきていることに気がつけなかった。澳津か、と一瞬思った。感じたいものだったのに、気付けなかったことに少し後悔した。薫、脳みそまでうざいわ。そう思った。
「李依」
香澄だった。
「ごめん、ちょい急いでて」
「まだけっこうあるよ」
そう言うと香澄は表情を崩さすに声だけ強くして、
「私着替えるの遅いタイプだから」
と更衣室の扉に手をかけた。制服のスカートの軽やかな揺れを止め、香澄は立ち止まると、こちらに振り向き、微笑しながら言った。
「李依、ジャージ似合うね」
悟ったようなその顔は、私が意識する前に扉の奥に吸い込まれていった。
スピード感のあるはずの朝の時間は、なぜか遅くなったように感じた。やはり香澄という女の子は、どこかに魔性というものを秘めている気がする。その感覚を言葉にできるまで、私は動けなかった。行事の日に限って、私は香澄から目を離せなくなってくる。
体育館のつまらない校長の話を聞き流したあとすぐに、試合が始まった。
男子は本能のままに騒ぎ、闘心を燃やし、うるさいくらいの声量で応援をした。女子は「汗かきたくない」やら「めんどくさい」やらと文句を垂らし、適当にボールを投げ、一生懸命やっているのは一部の運動部だけだった。職員たちは審判の呼び出しや試合結果の整理に追われていた。
歓喜と驚嘆の混じったその慌ただしい空気の中で、体育館の二階に並んだ背中だけが二つ、別世界に居るようだった。香澄がバスケ、私がドッジボールの出番が一度ふたりとも終わったところで、偶然落ち合うことができた。お互いに激しく息切れをしていて、それもいつしか落ち着いてきた。上から他クラス同士の試合を見下ろしていると、なんだか香澄が死ぬかもしれないという事実が頭からすっ飛びそうだ。吹き抜け下に響く盛り上がりを冷ややかな目で見ていると、クラス担任の鈴木から「二人で何やってんだー?」と手を振って笑われた。とりあえず手を振り返しとけば良いと香澄がぶっきらぼうに下を向いたので、言われた通りそうとだけして目を逸らした。
歓声に交じった香澄の「ねえ」という声が、耳に滲む。
「李依は私が死ぬと思って疑わない?」
「そりゃ疑わない、友達の言う事疑いたくはない」
百パーセントそうだと言えば嘘になるが。
「ってことは、私が死にたいって言ったら死ぬことを受け入れてくれるんだね」
軽く頷くと、香澄は「ふーん」という声を出した。目を少し深く瞑り、私に黒目をそっと向けた。香澄は口の動きを変えなかった。
「じゃあ、私が生きたいって言ったら、一緒に生きてくれる?」
見落としていた部分が私を問い詰めた。後ろ頭を思いっきりぶち叩かれたみたいな強い衝撃だった。強く比喩するなら雷。オブラートに包みこむならトンカチ。それくらいに私を恐怖に落とし込んだ。
もちろん質問に対しては「はい」としか言うことはない。私にとって衝撃だったのは、香澄は生きたいのか、という本質的な部分だった。
断定することはできないけど、香澄がもし生きたいのだとしたら。そうだとすれば私はとんでもない過ちを犯していたことになる。
なぜだろう、今まで死という最悪の結末に触れ、それ自体に違和感を抱くべきだったのに、微かな希望が見えた瞬間になぜかそれを受け入れたくないという気持ち悪さがある。鳥肌が一気に立つ。
感じてはいけないもの。香澄が数ヶ月後、数年後、十数年後も生きている姿。それは元から私の頭になかったのだ。生きるって素晴らしいねといつまでも香澄と笑って言い合うことなんて二度とないと、私は心では分かり切っている。そしてそれが当たり前に存在している。
表面では受け入れ、本心では生きて欲しい。そう思っていたつもりだったけれど、本当はそうじゃなかった。表面で受け入れ、本心で諦めていたのだ。暗い顔した香澄の顔なんて見たくない。それは同じだった。しかし香澄の姿、顔、それと共に日々を過ごしているうち、そのためには死ぬことが最善策だという結論が私が知らないうちに私の中で出されていた。
香澄は本当は生きたいんじゃないかって、なんで考えなかったんだろう。香澄がもし私に、死ぬのを止めて欲しかったのだとしたら。そもそも、香澄が本当に死んだとき、私はそれを背負って生きていけるだろうか。はてまた香澄のように、誰かに死ぬことを背負わせてまた私も死にゆくのだろうか。終活という言葉の意味を、思い出す。「死後のことを考える」「お墓や葬式」。
三組の勝ちが高らかに知らされたところで、長い沈黙に察した香澄が「そんな重く考えなくても。別に生きようなんて思ってないし、思わないから。」とクラスメイトにピースサインをしながら言った。
ジャージを着た香澄が、急にジャージを着て女子高生を演じる死神に見えた。巨大な鎌もマントも何にもないけれど、私はこの先の人生どこかでこの人に殺される気がしてならなかった。
昔映画で見た、死神骸骨の姿が重なる。火葬に出されると、香澄も私もみんな骸骨になる。白くて硬いその輪郭が本当に香澄のものになった時、私はきっとそれを香澄として捉えられない。誰かが死んだ時にそれを受け入れるって難しいのに、誰かが生きた時にそれを受け入れるって簡単だ。
香澄はどうして、生きたのだろう。そんな疑問が私に突如として降り掛かった。
どこか寂しかった。私たち以外に人間がいない気がした。何を見つめているかもわからなかった。目指しているところも、やりたいことも上の空で、これ以上一緒にいてはいけないかも、という感覚も湧いてきた。
時間を見てお互い出番に向かい、また同じ場所で集まるを繰り返していた中、香澄が自販機に向かった時だった。「そういえば、薫の話」今更ながら思い出した。帰ってきたら話さなきゃ、と思った。
五分くらい経った頃、香澄は麦茶を持って帰ってきた。香澄の手に握られた麦茶は二本だった。
「一本あげる」
「ありがとう」
香澄が飲み始めたのを見て、私も冷たいペットボトルの蓋を開けて、麦茶を喉に押し込む。冷気が体に満遍なく回り込む。この生きるための成分は、香澄のお金だという感覚を強く感じる。
冷えた胃が落ち着いたところで、薫の話について切り出した。
「香澄さ、うちの友達が会いたいって言ってるんだけど、良い?」
「どこで会って何するの?」
うーん、とスマホのトーク画面を探してみる。
「なんか香澄に、聞きたいことがあるらしい。どこでも良い、だってさ。香澄、断っても全然良いからね」
香澄は悩む素振りもしなかった。
「私と初対面なら」
本当は断って欲しいものだったが、それを強要するのもまた違う。香澄がやりたいように選べばよかった。
「ただし、ゆとり近くのファミレスにしよ」
「え?あそこ?なんで?」
「そこのナポリタン最近食べてないから」
「やっぱ好きなんだ」
「もちろん」
香澄はエアコンの出口あたりを眺めて言った。
「そこで大丈夫?その薫って子は」
「うん、私と同じ小中入ってるから」
「ゆとり」で薫に見られていたことは、黙っておくことにした。ただし、「前から香澄のこと、ちょっとだけ話してた」とは伝えておくことにした。香澄は生返事でなんとなく返すと、「あ、四組優勝っぽいよ」とわざとらしく焦点をずらした。
四組の青いクラスTシャツが靡くと同時に、一つ一つの歓声が混じり合う。そして大きな和音ができた。必死じゃなかったけど抱き合って喜ぶ女子、思っていたより感情表現をしない男子、疲れ切っていた職員達もやれやれという顔をして他の職員と顔を見合わせて笑っていた。私たちみたいに上から見ていた奴らも下に降り、体育館の床を踏みしめながらいろいろな言葉をかわしていた。その時結果的に二階から観戦しているのは私たちだけとなった。
「人生最後の学校行事だったね」
「うん」
「これで最期だといいなあ」
「なにそれ」
「なんでもない」
「あっそ」
「あっそ」となんとなくに返しておきながら、校長の二回目の挨拶は、さっきの言葉を考えるのでいっぱいになった。その言葉はいらないのに、離れない。いらない、こんな事考えても、辛いだけなのに。痛みに耐えることもできないまま、私は俯いて香澄と目を合わせないようにした。
お互いに疲れた顔で「バイバイ」を交わして、帰宅する。珍しく眠っていた姉の横でテレビを見ていた母が、「夕ご飯、あっためて食べな」と暗い声を出した。カレンダーに油性のボールペンで書かれた「父・飲み会」の文字が、きらりと光を反射した。
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