天使のオッサン

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 …思えばこの数日、散々だ。  きっかけは3日前から。  同棲して5年になる彼女に、勇気を出してプロポーズしようとサプライズを計画。  彼女に伝えた帰宅時間より早く帰って驚かせようとしたら、その彼女は…あろうことか家に他の男を連れ込み、キスをしていた。  扉の隙間からその光景を見た瞬間、渡すはずだった指輪は手から溢れて床に落ち、俺はそのまま…家を後にした。  信じていたのに…  なんで…  そんな考えが、頭の中でグルグルして、家に帰れなくて、ネカフェに泊まりながら街を彷徨っていたら、スマホが微振動する。  液晶を見たら、バイト先の店長。  なんだろうと電話に出たら、告げられたのは、2日に渡って無断欠勤したことによる…解雇。  嘘だろ。  帰る家も彼女も仕事も無くして、一体これから、どうしろって言うんだよ…  絶望感に苛まれ、居場所を探すように歩いていたら、いつのまにか…遮断機の降りた踏み切りの前。  …なんだよ。  そう言う事か。  嗤って、俺は止める群衆を振り切り遮断機の向こうに入る。  神様は、薄情だ。  全てを失った男の末路に、死しか用意してくれないなんて…  踏み切りの警告音、止める群衆の声、列車の警笛。  …どうでもいい。  精々派手に死んで、あの世で、こんな最後しか用意してくれなかった神様に、恨み節でも吐いてやろう。  そうして瞳を閉じた時だった。 「藤次さんッッッッ!!!!!!」 「!!!???」  悲鳴と共に、俺は凄い力で線路の外へ放り出される。  なんだ…  なんだ…  訳もわからず寝っ転がっていると、隣で倒れていた黒いコート姿の人間が起き上がり、問答無用で胸ぐらを掴んでくる。 「こんのドアホッッッッ!!!ガキのくせに、親からもらった大切な命、粗末にすな!!!!」 「なっ………」  …なんだよ。  なんなんだよ!  俺は、俺はただ、楽になりたかっただけだ。  それを邪魔された挙句、なんで…こんなオッサンに、頭ごなしに、説教されなきゃいけないんだっ!!!  悔しくて睨みつけていると… 「あいたぁ!!!!!」 「!?」  不意に、オッサンが悲鳴を上げる。  背後を見ると、女神みたいに綺麗な女が、泣きながらオッサンの背中を叩いていた。 「い、痛い痛い!!やめてや絢音!!勢いつけて飛び込んださかい、あちこちぶつけて」 「いやっ!!やめない!バカッッ!!バカ藤次!!見過ごせないって言って後先考えず踏切内に飛び込んで!!もし、もっと電車が早かったら…今頃………」  泣き崩れていく女の頭を撫でながら、オッサンは口を開く。 「泣かせて、心配させて堪忍。そやし、俺も検察官の端くれや。命以上に、この国の罪ない人を護らなあかんねや。許して。」 「バカ…そんな理由で、軽率に私を置いて逝くなんて、絶対許さない。それに、あなたの命は私のもののはずよ。藤次…」 「…ああ。せやったな。この心臓も、なんもかんも、一緒になった時お前にやったよな。ごめんな。俺の、絢音…」 「藤次…」  泣いてる女を慰めながら、とうじと呼ばれていたオッサンは俺を見る。 「兄ちゃん。何があったかは知らんけど、まだ若いんや。死のうなんて考えなや。」 「だ、だって俺、仕事も無くして、居場所もなくして、おまけに…惚れた女に浮気されて!だから…」 「仕事なんて、その若さならいくらでもあるわ。女かてぎょうさんおる。居場所かて、お前が望めばいくらでもあるんやで?」 「けど…」 「圭太!!」 「!?」  不意に群衆から聞こえた、馴染みのある声。 「か、薫…?」 「なによー。やっと見つけたと思ったら、こんなとこで…しかも泥だらけじゃない。ホラ!」  何事もなかったような顔をして手を差し伸べてきたから、何だか腹が立ち振り払う。 「圭太?」 「なんだよ!俺が知らないと思ってんのか?!お前、浮気してんだろ!!」 「はあ?!」  寝耳に水のような怪訝な顔をする薫に、俺はスマホで撮影した、見知らぬ男に顔を寄せている薫の後ろ姿を見せる。 「…あんた、バカ?」 「なっ!!?」  心外とばかりに睨みつけるが、薫は俺からスマホを取り上げ写真をまじまじと見つめる。 「これ、兄貴。同棲の挨拶に行った時に会ったでしょ?忘れたの?遊びに来て色々話してご飯食べて、帰ろうとしたから見送ろうとしたら、顔に食べカスがついてたから取ってあげてただけ。よく見て!」  そうしてズイッと画面を鼻先に突きつけられたから、改めてまじまじと見てみたら、ホントにそれは確かに彼女のお兄さんで、気まずくてそっぽを向くと、小さなため息が聞こえる。 「圭太、これ…圭太が私の為に、選んでくれたのよね?」 「えっ?!」  訳がわからず顔を上げると、そこには左手を翳して笑う、涙目の薫。  よく左手を見ると、薬指に…俺がプロポーズの為に選んだダイヤの指輪が、光っていた。 「お前、それ…どこで…」 「やだ…そんな事今聞くの?それより聞きたいセリフ、私あるんだけど?」 「ッ!!」  立ち上がり、彼女を抱きしめて囁く。 「こんな俺だけど、結婚して下さい…」 「…全く、ホントバカなんだから。まあ、こんなバカの面倒見れるの私くらいだから、仕方ない。…いいよ。結婚しよ?絶対、幸せにしてね。」 「うん…約束する…」  …そうして、俺は隣で笑ってるオッサンと女の人に頭を下げる。 「助けてくれて、ありがとうございます。おかげで、生きてて良かったって、思えそうです…」 「そっか。なら、惚れた女に心配かけて泣かせて殴られてまで助けた甲斐あったわ。幸せになり。」 「はい…あの、良かったら住所教えて下さい!招待状送ります。だから、結婚式でスピーチ、して下さい。」 「そんなん、恥ずかしから遠慮するわ。そやし、同じ男として、これだけ言わせて。」 「ハイ?」  首を傾げる俺の耳元で、オッサンはそっと囁く。 「気ぃつけや?女は結婚すると、変わるで?ま、精々ベッドで主導権握られんよう、あんじょう気張りや。」 「はっ?!!」  真っ赤になる俺にほなと告げて、オッサンは女の人の肩を抱いて去って行く。 「何?何言われたの?」 「あ、いや…別に!幸せになって…」 「ふぅん…ま、いっか。さ、帰ろ?ウチに。」  差し出された、薬指に俺の愛の証を嵌めた、左手…  その手を取り、幸せにするからなと言う決意を伝えるかのように、強く強く…握りしめた。  …ありがとう。  お節介焼きのオッサンに化けた、キューピッドさん。
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