無敵だった僕

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無敵だった僕

 洗濯機がぐるぐると回る音が、ぼんやりとした記憶の扉を開いた。あの日、ポケットに詰め込んだあの生き物たちのことを、すっかり忘れていた。洗濯機を開けた瞬間、母の叫び声が響き渡ったのを覚えている。 「一体何を考えてたの!?」  目の前には、ぐちゃぐちゃになった洗濯物と、そこに散らばった数十匹のダンゴムシ。僕は何も言えずに、ただ呆然と立っていた。母が怒っている理由は分かる。誰だって洗濯物に虫が混じっていたら、怒るに決まっている。それでも、あの時の僕にはどうしてもダンゴムシが特別な存在だった。小さな体でくるくると丸くなる姿に、どこか不思議な魅力を感じていたのだ。彼らを集めることが、まるで宝探しのような感覚だった。  子供の頃の僕は、無敵だった。何も怖くなかった。ダンゴムシだろうが、カエルだろうが、蜘蛛だろうが、触れることに抵抗はなかった。それどころか、手の中で動く命に触れることが、ただ楽しかったのだ。  それが今ではどうだろうか。庭に出て、ふとダンゴムシを見かけても、手を伸ばすことさえしない。いや、正確には、手を伸ばす気にもならない。なんとなく気持ち悪いとさえ思ってしまう自分がいる。成長と共に、僕はあの無敵だった自分をどこかに置き去りにしてしまったのかもしれない。  それでも、あの日の母の怒りと、ダンゴムシに満ちたポケットの感触だけは、今でも鮮明に覚えている。今思えば、あんな小さな生き物たちをあんなにも大事に思っていた自分が少し可笑しく、そして少し懐かしい。  でも、もう一度触れるかと言われたら、正直無理だろう。何が変わってしまったのかは分からない。ただ、あの頃の僕は確かに何かを大切にしていて、それはダンゴムシという小さな生き物だった。無敵だったあの時代を、僕はもう戻せないのだろうか。  洗濯機の音が止まり、扉を開ける。もちろん、今日はダンゴムシなんて出てこない。それでも、どこか胸の奥にひっかかる感覚がある。僕が忘れてしまったもの。それは、あの小さな命に対する無邪気な愛情だったのかもしれない。  ダンゴムシたちがぐるぐると回る記憶の中で、僕は少しだけ、あの頃の自分に戻っていた。
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