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へやのなかが、本だらけになっている。もうたくさんの本がある。あちらこちらに本がある。本はちょっとずつちょっとずつ増えて行っていて、本棚には、ニーチェの古い本まである。集めるつもりはなかったけれども本は、父の父のもちものだったものもあって、それがなかなかはっとする。はっとするというのは、父は、ドストエフスキーが好き、といっていて、父がもっていた本は、実は、父の父の持ち物であって、そうして訳しているひとはおおさかのひとであった。その訳で読むとまるで、祖母が話しているような訳であって、ドストエフスキーが身近におもえるのである。父は、ずいぶんと、寂しがりやで、もう、僕が目を覚ますとすべては終わっていて真っ白い着物に着替えさせられて葬列の後ろを歩いたとかいてあって、それは結核で、じまんの父が亡くなったときのことでそれが小学校低学年であったから、父の本棚は手づ和のまま置いてあってそのなかから本を青年期に読んだのではなかろうか、と思うのであった。そうしてその訳者は大阪人であったので、じぶんの母のことばと似たものを話している隣の家の人風になっていて、ほんとうに愉快で面白いのであった。わたしが中学でドストエフスキーを読んだときは、もう、そのことばは、ロシアの貴族の方々の言葉風であって、遠くの国のひとたちのおはなし、というふうにとらえていた。それぞれの人生の歴史が本の中にあって、開くと、そのひとたちのやっぱり本を読んでくすっと面白いようなことを感じるのも楽しみであって、それがいつしか部屋を占領しているのであった。わたしの目の前にはKOBE神戸とかかれた本が風見鶏の館の表紙をむけてたっていてやはりあれを買った頃のことを思い出すのであって、本はやはり、部屋にもって帰ろうとおもって買った理由がそれぞれにあって面白い。
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