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 僕の家には天使がいる。もちろん比喩だけれど、僕にとっては、本当に天使なのだ。彼女のおかげで僕は前向きに生きることができるようになった。彼女がいなければ、僕はどうしようもない人生を送っていただろうし、それ以前に、今頃はもう生きていなかったかもしれない。だから、彼女は僕にとっての天使なのだ。  彼女との出会いは、本当に偶然だった。いつも行くお店で、彼女の事を知った。彼女は、皆に優しそうな目を向けていた。その頃の僕は、就職に失敗し、といって厳しい親にそのことを言えず、親には就職したと嘘をついて、一人暮らしのまま、たまに募集されている肉体労働でその日をしのぐような毎日だった。友人もおらず、自分が何のために生きているのかも分からなかった。学生の頃はそれなりに優等生だったから余計に、自分の事がどうしようもなく思えてしまっていた。でもそんなどうしようもない僕にも、彼女は笑顔を向けてくれていたのだ。  僕は落ちぶれてしまってから、初めて自分以外のためにお金を使った。いや、そのお金が彼女と一緒にいるためのものだと考えると、結局それも自分のためだったのかもしれないけれど。彼女は僕のところにきてくれた。僕と一緒にいる時の彼女も、いつもお店で見かけていた時のように優しくて、僕は幸せな気持ちになった。彼女が初めて僕の家に来る日は、数か月ぶりに部屋の掃除をした。彼女がこの部屋に来るのだと思うと、このだらしなさが恥ずかしくはあったけれど、それでもドキドキとして、優等生だったころに少し戻ったような気がした。  彼女と暮らすようになってから、僕は少しずつ変わり始めた。自分が生きるためにしかしていなかった労働も、自分だけではなく彼女のためなのだと思うと、前向きになることができた。彼女に贅沢で幸せな毎日を送ってほしいという気持ちで、労働時間を増やしたりもした。彼女は決してわがままを言ったりはしないけれど、だからこそ余計に、僕は彼女のために何かしてあげたいと思うようになった。  彼女の幸せは、僕の幸せなのだ。実際、家に帰って彼女と一緒にいると、どんなに仕事で嫌な事があっても、それだけで幸せな一日だったと思えた。彼女が幸せそうなら僕もより幸せな気持ちになれる。彼女を幸せにしているのは僕なのだという自負も、僕に自信を持たせてくれた。  ただ、どんなに僕がそんなふうに自信をつけても、仕事の方はうまくいかなかった。大学を卒業してから就職できない期間がそれなりにあったことも、今肉体労働で生活しているということも、そして、自信を取り戻し始めたことで再び生まれ始めた優等生だったころのプライドも影響をしていたのかもしれない。今よりも少しはいい仕事をしたいと思ったのだけれど、なかなか仕事は決まらなかった。  もちろん僕はそのことを彼女に話したりはしなかったし、彼女も聞いてきたりはしなかった。二人でいる時間は、幸せに過ごしたかったのだ。二人で家にいる時間が多かったけれど、たまに二人で外出することもあった。ただ、お金がなくて、外出するといっても散歩程度のことだ。それでも僕たちは幸せだったのだけれど。  彼女のためにもお金が欲しいという気持ち。それなのにいい仕事が決まらないという焦り。きっと彼女は僕に、そんなことを求めたりはしないだろうけれど、でも、僕は彼女のために何かをしたい。このままだと、彼女に愛想を尽かされてしまうかもしれない。そんな不安も生まれ始めた。  そして僕は、犯罪を起こしてしまったのだ。それはとても衝動的な行為で、僕は自分がこんなことをするなんて思いもしなかった。人を大怪我させたのも初めてだった。そんな衝動的な犯罪がうまくいくわけもなく、僕は気が付くと捕まり、手錠をかけられていた。その手錠の感覚で、初めて僕は、何か自分が操られていたのではないかと感じた。そう、僕は彼女に操られていたのではないか。もちろんそれは、ただの言い訳なのかもしれないけれど。
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