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プロローグ
何処かから子供の泣く声が聴こえる。
目を開けて周りを見ようとするが、瞼は重く、ほんの僅かな体力すら残っていないようだった。
もう長くないのかもしれない。崩れた建物の瓦礫が両足の感覚を奪っていた。おそらく押し潰されたのだろう。もはや痛みはなく、とめどなく流れる生暖かい血液が、冷たくなっていく肌を伝っている。
「……グ」
どうやら喉もやられているらしい。
一体なんだというのか。なぜ今、この場所なのか。
あの巨大な生き物はこの一帯を平らにならしていった。ただ移動するだけ、それで大抵の建物はミニチュアセットのように脆く崩れる。
これが走馬灯なのか。だが不思議と家族や友達は頭に浮かんでこない。
思い出すのはほんの一瞬、あの巨大で強大な体躯が、明確な殺意をもってこちらに向かってくる時のあの束の間の時だけ。
そして、ベランダから見えたその景色は、僕を釘付けにした。
僕は思った。その理不尽な大きさの体で街を蹂躙する、全てを薙ぎ倒すその姿はまさに怪獣だった。
子供の頃、特撮好きだった父親と見た怪獣。怖くもあり、そして魅力がある、テレビの向こうの愛すべき敵役。
違うところがあるとすれば、それはこの化け物を退治してくれるヒーローはいないということだ。
希望は、無い。
男の意識はそのまま薄れ、二度と戻ることはなかった。
以下、『近代の人類史』下巻より抜粋
近代の人類史と銘打ったからには、この事柄は他を削ってでも挿れるべきことだろう。なぜならこの一連の出来事は、人類にとって今なお、最大の試練となっているからである。
時に西暦202X年、宇宙から何の前触れもなく隕石が飛来し、北極に落着した。そのタイミングで、世界各地の都市でほぼ同時に巨大不明生物が出現した。それらはみな地球では考えられない巨大な体をしていた。そして、何故か人以外の生物に興味を示さず、ただ人だけに敵意を示し、その大小にかかわらず、避難していた建物ごと人々を殺害した。後の第一次進攻である。
隕石落下直後の巨大生物の出現に、各国は対応に大幅な後れをとった。結局、巨大生物の発生から24時間後、国際同盟軍が発足、対象生物の駆除を開始した。
各国の対応については今でも議論が分かれているが、それについてはまた別著に詳しく書き記そうと思うので割愛させていただく。
駆除は困難を極めた。その規格外の図体は、想像するよりもずっと機敏に動き、そして地上のどの生物よりも頑丈だった。その体は戦車はおろか、戦闘機一機さえ寄せ付けなかった。駆除開始から72時間後、想像をはるかに超える人的、物的損害を鑑み、遂に核兵器の投入が国連で決定された。
駆除開始から120時間後、モスクワ、北京、ワシントンD.C、ロンドン、そして東京を含む主要国首都5つと、ニューヨーク、シドニー、香港などの大都市8つ、そしてアメリカの一部地域を除く全ての巨大生物発生地点に、大陸間弾道ミサイル、ICBMが、ロシア、アメリカの原子力潜水艦から発射された。
主要都市を除き、発射された核ミサイルは全て巨大生物に命中した。
核弾頭は、巨大生物に触れた瞬間、その巨体を強烈な光と熱線に包み込んだ。効果は絶大だった。一つの例外なく、巨大生物は、爆心となったにもかかわらずその姿形を保つ、恐るべき耐久性を見せながら、遂にその歩みを止め、一切の生命活動を停止した。
核が直接命中しなかった、大都市圏の巨大生物も、死には至らなかったものの、熱線により、すべての動作が著しく低下し、その後国連軍によって駆除された。駆除方法については後程述べる。
こうして世界各地で破壊の限りを尽くした巨大生物は、確認されているすべてが殲滅された。
だが、建造物などの被害総額8000兆円、死者、行方不明者およそ20億人、その途方もない被害は『最悪の7日間』として生き残った人々に一生癒えない傷を残した。
二次被害も発生した。巨大生物によるすべてのインフラの破壊、発電設備の破壊、破壊によって発生した大量の土砂の流入による土砂災害。そして水源の汚染。核の複数同時使用による死の灰の放射能汚染。衛生環境の悪化による感染症の世界的な流行。国や地域間の資源をめぐる紛争。それらの被害はとどまるところを知らず、更に30億人が死亡した。これらは後に第三次世界大戦と呼ばれた。
一つ注意しなければならないのが、これらの出来事は全て一年以内に起こったということだ。人類の長い歴史の中でのほんの一瞬で、人類総人口の半分が死亡、文明レベルは一時、100年近くまで後退した。
人類はそのあまりの被害にようやく正気を取り戻し、巨大生物が出現した日からちょうど1年がたった日、国連総会で世界平和復興条約が締結された。総会に出席したのは97か国、欠席国は無かった。急激な人口の減少でいくつかの国家が消滅、又は合併したのだ。
それから国々は、今までの諍いを一旦忘れ、それぞれの技術と資源を持ち寄り、一刻も早い復興を願い行動を進めた。復興する上での問題は大きく三つに絞られた。一つ目は公共インフラ、そして建造物の復旧。二つ目は安全な食糧生産、医療体制の回復。三つ目は、巨大生物に対する対策だ。
一つ目のインフラ整備は、巨大生物と核の爆心地を避けて何本かの道路が整備された。建物はその道路沿いに建てられた。東京やニューヨークなどの、都市の被害が比較的少ない都市は復興事業の拠点とされ、その都市を中心に新たな経済の流れが生まれ、深刻な金融危機は少しずつ解消されていった。
余談だが、筆者が取材のため東京を訪れた時、その発展ぶりに驚いた。なんと第一次進攻前の建造物が都市単位で残っているのだ。素晴らしい街だった。私は今でもその光景が頭に焼き付いて離れない。
話が逸れた。二つ目の食糧生産は、以前から注目されていた、遺伝子組み換えの食品を主要国が共同で研究、開発し、屋内での大規模水耕栽培が開始された。およそ半年で供給が安定し、人々はまた新鮮な食品を手に入れることが出来るようになった。医療体制の回復は難航した。医療従事者の数が少なすぎたのだ。世界人口が半分になったとはいえ、重篤な患者が数多く存在したため、医療現場は完全に崩壊していた。ひどい地域では、片腕を欠損するほどの重症でも治療まで3年かかるといったことがざらにあった。更に、超長時間労働による医療従事者の過労死、自殺が急増し、事態はますます深刻になっていった。だが、奇跡が起きた。中国のとある企業の研究チームが、ほぼすべての感染症に絶大な効果を示す抗体を開発したのだ。この医学的に大きなブレイクスルーによって、世界的に流行していた感染症はその勢いを大きく衰えさせ、さらにコレラ菌とペスト菌、赤痢菌の根絶に成功した。この中国の歴史的功績には、幾つか不可解な点があるため、こちらも怪獣の駆除方法と合わせて後述する。
三つ目の、巨大生物に対する対策は、アメリカが主導となって行われた。アメリカはかなり早い段階からこの生物の情報を収集、解析しており、すでに具体的な対策が出来上がる直前まで進行していた。その対策とは、電波灯台ハートポイント作戦である。この作戦は、巨大生物が発していた特殊な脳波を利用したもので、その脳波をアメリカ国内にいた個体計7体からサンプリングし、それらを総合した結果、ある波長の電波が、巨大生物の脳に強い拒否反応と回避反応を生じさせることが分かった。この電波を、世界各地の都市の周囲を囲むように発生させることで、巨大生物の進攻を大幅に遅延させることが可能になる。この案はすぐに採用され、世界の主要都市には高さ1000メートルの巨大な塔が建設された。そして、各国の軍隊は再編成され、軍備を一新し、対巨大生物を主とする部隊へと姿を変えた。
この間、巨大生物が現れることはなかった。これらは専門家の間では、巨大生物側の最大のミスとされているが、いまだに発生時期の原理が解明されていないため、あくまで一つの共通認識に過ぎない。
巨大生物という呼称も変更された。新たな呼び名は各軍の上層部で真剣に検討され、最終的に、日本の提案により、『怪獣』に決定された。
この『怪獣』という名称には当初、日本人しか賛成の声は上がっていなかったが、激減した人類の中で、日本人が比較的生存者が多かったため強引に可決されたのは、また別の話である。
こうして人類は、ほんの10年足らずでこれらの歴史的偉業を成し遂げた。
そして、怪獣はまた現れた。人類が復興し終わるのを待っていたかのように、それらはあの時と同じように世界各地に同時に出現した。だが人間側の対処は前回と比べ物にならないくらい迅速で、効果的だった。まずは電波灯台で怪獣の進攻を阻害した。この防衛設備は驚くほどの効果を示し、怪獣は決して塔の一キロ以内に近づいてこなくなった。そして、十年の間に開発された、対怪獣用の爆弾によって速やかに駆除された。この間僅か3日間、怪獣はもはや人間の直接的な脅威ではなくなったのだ。この事実に人々は沸き立ち、安堵した。それらの輝かしい事実は、人々の傷ついた心を癒した。
それから一週間後、西暦203X年、国連は人類共同防衛憲章を発表、国家間の連携を再確認し、そして暦を改めた。西暦に代わって、その名を防衛暦と改め、新時代の幕開けを明確にしたのだった。
以上『近代の人類史』下巻より抜粋
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