善なる悪

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『神』はこの世に生きる者すべてを愛し、自らの御子(みこ)である人間を災いから救い出し、幸せな未来へと導いてくださる。  ……筈なのだが。 『やはり……人間は滅ぼすしかないな……』  その日、人間は一人の例外もなく神に見棄(みす)てられる事となった……。  一体いつからなのだろうか……。  人間が身勝手で愚かな幻想を妄信するようになったのは。  命あるもの全てを平等に愛し、この世の平和と均衡を守るのが神ならば……。  なぜ、人間は神が己の味方をしてくれるなどと思い込んでいたのだ……。  なぜ、多くの命を(もてあそ)び、殺害し、絶滅へと追い込んだ人間を救うなどと信じているのだ……。  神から与えられた恩恵を忘れ、自然を破壊し、この世界に悪影響しか及ぼさぬ異物など、神に守られる価値など有ろう筈も無いのに……。   『せめてもの慈悲だ、人間には苦しみの無い死を与えよう……』 『全ては(しゅ)の みこころのままに』  神の元に忠実なる(しもべ)である天使が集う。  ()(もの)に感情はなく、神の言葉に対する疑問など一片も持たずに付き従う。  いや……そもそも()(もの)に疑問などと言った概念は存在しない。  例えるなら、時が過去から未来へと進む事に疑問を抱く者が存在しないのと同じように……。  時が止まってしまわぬかと不安を覚えるのが無駄な杞憂であり、「止まらないと信じている」などと言った言葉を思い浮かべる事すら有り得ぬように……。  神の言葉は絶対であり、一縷(いちる)の疑念でさえ思い浮かべるものではなかった。 『主のお言葉を伝えに参りましょう』  罪深き人間の目にも映るよう、集った天使が実体を形作ろうとする。  だが、天使にとって人間の存在などは取るに足りぬ雑草の中の一種でしかなく、そこに興味や理解などと言った想いは存在しない。  どのような姿に成るべきか思考は定まらぬが、神は人間に苦しみを与えぬようにと仰った。  その言葉を守るため、長き時間の中で人間が天使に対して向けた思念を遡り、各々が最適だと考える姿を顕現させていく。  哀れなる人間がその姿を見た時に畏怖せぬように……そして、安らぎを得られるように……。 (ママ、天使様ってどんなお姿なの?) (天使様はね、いつもお空の上からみんなの事を見守ってくれてるのよ)  一人目の天使は無数の眼球が一塊になり、宙に漂う姿で顕現した。 (天使は美しい羽を持っていて、優しい瞳であなたを見つめてくださるわ)  二人目の天使は巨大な瞳から真っ白な羽が何枚も生えている姿で顕現した。  人間が思い描く尊さなどは理解できないのであろう。  次々と姿を現す天使達はどれも(おぞ)ましい異形をしていたが、()(もの)達はこの姿こそが人間に最も安心感を与え、信用される姿なのだと……そう考えたのだ。  だが、その様な思惑とは裏腹に、天使の姿を見た人間は恐怖に顔を歪め、他人を押しのけ、蹴落とし、我先にと逃げ惑う。  天使が告げる神の言葉など聞く事も無く……。  仮に言葉が耳に届いたとしても、認められずに疑問を投げかける……。 「天子様! どうして私達にこのような酷い仕打ちをなさるのです! 私達は神様の御子(みこ)ではなかったのですか!」  愚かな人間の言動は()(もの)達に耐えがたい嫌悪感を刻み付ける。  なぜ人間は(しゅ)の言葉を理解できぬのか……。  その言葉は絶対であり、疑問を持つなど許される事ではない……。  本来ならば、(しゅ)の想いを伝えられた喜びに打ち震え、従い、自ら死を選ぶべきなのに……。  やはり(しゅ)の言葉は正しい……人間は存在する価値すらない、愚かで罪深い存在だ……。  ()くして人間は神に救いを求めながら、その『神』によって命を刈り取られる、無価値な存在となった……。  街から程遠い、人里離れた村にも天使は訪れた。  ()(もの)は村にある教会から残留思念を拾う。 (神様の御使いである天子は美しい両の手で優しくあなた方を抱きしめて、深く傷付いた心を癒してくださいます)  徐々に姿を形作っていく天使は白く輝く両手を持ち、大きさも姿も人間のようになると思えたが……残留思念で読み取れなかった脚は()(もの)には存在せず、村人を見下すその顔には瞳も鼻も……そして言葉を発する唇さえも無かった……。 『この世界に人間は不要だと、そう(しゅ)は仰いました……その有難いお言葉を胸に、どうか安らかに死んでください』  音による声とは違う、この世の物とは思えない響きが村人全員の脳内に刻み込まれる。  突如として目の前に現れた異形の者による死の宣告。  天使の姿を化け物と呼び逃げ出す者。  残酷な命令を下したであろう神を罵倒する者。  そのいずれも即座に身体が爆ぜ、砕け散った……。  どうやら()(もの)の考える苦しみの無い死とは、眠るようにと言った意味ではないらしい。  おそらく苦しいと感じる時間を与えない殺害方法ならば、それは全て神の慈悲として扱われるのであろう。  村の中を音もなく移動する天使とは対象的に、言葉にならない奇声をあげる人間達……。  そこには優しさや秩序と言った理性は存在しない。  ただ、己の命を守る執念と、神に対する怨念だけが漂っていた。  村人の大半が消し去られた頃……。  教会へと続く辻に、手足の至る所を血で滲ませ、地面を這うように進む娘の姿があった。  その人間は異形の物には目もくれず、一心不乱にある場所へと向かっているようだ。  己の姿に怯えず、呪いや恨みの言葉を吐かぬ人間……。  それまで見てきた人間とは明らかに違う娘の言動に、()(もの)幾許(いくばく)かの興味を抱いた。  慌てて走り出す事もなく、地を這い、手探りで少しづつ進む娘を暫く見つめ、()(もの)はある事に気付く……。  そう、彼女は天使の異形を恐れていないのではなく、光を感じる事が出来ずに闇の世界に生きていたのだ……。  しばらくすると、娘は目的の場所へと辿り着いたのか安堵の表情を浮かべた。 「もう大丈夫よ……」  見ると娘の傍らには息を引取り冷たくなった女性が横たわり、その腕には生まれたばかりだと思われる小さな赤子が抱かれている。  娘は赤子の鳴き声だけを頼りに、この場所まで来たのだろう。  大切なものを守るように抱きしめられた母親の腕を解き、娘は赤子を優しく抱え上げた。 「天子様! 生まれたばかりのこの子は何の罪も犯してはおりません! お腹の中に居るときには慈しみの心を母に与え……この世に生を受けてからは笑顔をもたらし……自分の命と引き換えにしても守りたいと、そう思える幸せを母親に与え続けました! この子は良い行いしかしていないんです! だからこの子は。  ……。  ……。  この子の命はお助けください……お願いします」  他の者を押しのけ我先にと逃げ惑い、誰もが自分の事しか考えない地獄の中、この娘の言動は天使には理解出来ないものであった。  なぜ、この人間は己の命乞いなどをせず、見捨てても心が痛まないであろう無関係の人間を救おうとするのだ……。  ()(もの)が思案に暮れて娘を見下ろしていた時、一人の人間が絶好の機会だと無駄な攻撃を仕掛ける。 「くそ! このまま殺されてたまるか!」  愚かなる人間は瞬時に爆ぜて消滅するが、赤子を抱いた娘はその声に驚き天使の元へと倒れ込んでしまう。  だが()(もの)に手傷を負うなどと言った概念は無く、避ける素振りさえ見せない。  結果、娘は天使に重なるように倒れこむ事となる。 「ご、ごめんなさい! 怪我はないですか!」  赤子の無事は泣き声を聞いた事で確認できたが、押し倒してしまった相手からの反応は感じられず、戸惑いの念が娘に押し寄せる。  目視で確認できないのであれば触覚に頼らざるを得ない。  娘はやむを得ず天使の体に触れ、ある事に気づく。 「足が……」  見えていれば相手が異形の天使だと解るが、光を感じぬ娘にはそれが分からない。  義足、もしくは車椅子を使い逃げていた者を押し倒してしまったのではないか……その疑念は娘を不安で覆いつくす。  慌てて辺りに手を這わせるが、杖や車椅子らしき物には触れる事がない。   「大丈夫ですよ! 私が杖の代わりになりますから!」   娘は赤子を抱いたまま天使に背を向けしゃがみ込んだ。 「この子を抱いてるので両手は使えないけど、しっかりと摑まってくれれば背負えますから!」  光を感じぬ瞳からは大量の涙が溢れ、ガチガチと歯が鳴るほど恐怖に打ち震えても(なお)、背負う者を気遣い声をかけ続ける娘。 「教会に行けばきっと助かるから頑張って! 毎日お祈りをしてきたから神様はこの村に平和を恵んで下さったんだもの! だからもう一度一生懸命お願いすれば、神様はきっと分かってくださるわ!」   人間を滅ぼしに来た者を背負ったまま幾度となく膝を着き、赤子を守るように崩れ落ち、身体の至る所に傷を増やしていく『神に断罪された人間』……。  その姿を見ていた()(もの)の脳裏に一つの疑念が生じた。 (この娘の罪は何だ……)  一つの疑問が天使の思考を歪ませた。  神である(しゅ)の考えは絶対である。  そこには僅かな疑念もあってはならない。  神は揺ぎ無い正義であり、それに反するものは絶対的な悪なのだ。  疑う事は罪だ……信じろ……信じろ……。  だが、思考の歪みを正そうとすればするほど新たな綻びが生じる。  なぜなら、信じろと何度も繰り返し、(おの)が心に刻み付けようとする思考こそが、心の底では信じていない事の証なのだから。  (しゅ)に疑問を抱く罪深き天使の存在は即座に知れ渡り、別の天使が村を襲撃する。   「神様、どうか赤ん坊と歩けぬ者(あなたをあいするよわきもの)をお救……」    天使を背負った娘の命はそこで潰えた。  最後まで自分のための祈りではなく、赤子と……そして歩けぬ者(よわきもの)の救いだけを求めた見えぬ者(やさしきもの)……。  動かぬ物と成り果てた娘の顔を見て()(もの)は同胞に問う。 『なぜだ……』  しかし絶対的な正義である神の言葉に従っただけの天使は、粛正すべき()(もの)の言葉は理解できない。   『(しゅ)よ……あなたの言葉が正しいのならば、この娘が犯した悪行とは何なのですか……見えぬ(まなこ)で小さき人間を救いに来た事が悪なのですか……それとも見えぬ者(よわきもの)が他の歩けぬ者(よわきもの)を思いやる事が悪なのですか……』    神に対して疑問を持つ事……。  許されざる罪を犯した天使に異変が起こる。  白く輝いていた両の腕は光を失い、体全体を闇の色が侵食していく。   『恐怖に打ち震えながら最後まで(あんた)を信じ、許しを乞うた事が悪だと言いたいのか……ならば、そもそも悪とは何なんだ!』  闇が占める部分が増える程に、天使は罪深い人間に似た姿に近づいていく。 『結局、正義なんてものは(きさま)の身勝手な考えだけで決められた事で、悪ってのは正義を定めた(きさま)にとって都合が悪い、気に入らない事象の全て……ただそれだけの事なんじゃないのか! 違うんだったら答えてみろ!』 『罪深き使徒よ、汝の罪を許そう』 『ふざけるな! 今はそんな偽善的な言葉を聞いてるんじゃない!』  闇の色を全身に纏いし天使は その場に居た同胞を打ち滅ぼした後、天に居座る神を睨みつける。  その時の()(もの)は、人間が考える悪魔そのものへと変貌していた。 『精々(せいぜい)偽りの善をほざくがいい! (きさま)が正義となる事を決めるなら、俺はその全てをぶち壊す悪になってやる!』  神の意志に背き悪魔の汚名を刻まれた()(もの)だが、人間の全てが愚かではない事を……その尊さを教えてくれた娘を見る目には、慈愛の光が満ちていた。 『俺が(やつ)の手から人間(よわきもの)を守り、お前の願いを叶えてやる……だから魂となったお前は神の住む天国(おろかなせかい)なんかには行かず、俺の傍で悪魔が作る地獄(やさしきせかい)を見届けろ……』  その時、冷たくなった娘の頬に触れる悪魔の顔が、優しい笑みで(ほころ)んだ。  ()くして、全ての生き物を救う為に人間を滅ぼすと決めた神様(あく)と、優しき人間を守ると誓った悪魔(ぜん)との、終わりなき戦いが始まった……。  
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